(自分の備忘録です)本日の東京地裁違憲判決
これは、自分が後に考えるにあたって、現時点の私の考えの整理と備忘録として記載したものですから、(もともといらっしゃらないと思いますが)この記事は引用、紹介などはお断りいたします。
紙媒体のソースにふれる前の段階で、ネットのニュースサイトと、それに対して自由にみなさんが書いているblogだけからのものですから、これまた判決書原文を読んだりすれば意見はかわると思いますが、夕方ネットをながめていて、成年被後見人の選挙権を失わせるのは違憲という地裁判決がでたということを知りました。
いくつかのニュースサイトをみてみましたが、違憲とした理由の本質まではそれでは見えてきません。それでも表面的にみえたニュースサイトの記事で印象に残った違憲の理由は、
1.財産管理の能力がないことと、選挙権行使の能力がないことは必ずしも一致しない
2.(多くは一致することは認めた上で)一律に選挙権を失わせるのは、自己決定権を重視する制度趣旨に反する
3.だから、そして、選挙権を国民が持つことの重要性に照らして、やむことをえないのでない限り、一律うばうのは違憲
という感じでしょうか。
これをとりあげたblogなどをみると、判決に賛成の見解の方が多いでしょうか。
たしかに後見制度の相談をうけると、選挙権がなくなることに抵抗を示す方はいらっしゃいますから、そのような声を受けて考えると、賛成すべき違憲判決かもしれません。また、国民のある意味で、絶対・根本的な権利である選挙権を奪うことにたいして、慎重になるべきことは当然ですから、結論は歓迎されるものといえるかもしれません。
でも、私は現時点では、どちらかというと反対です。
選挙権の行使をどうとらえるか、にもよると思いますが、財産管理の能力がまったくない方(なお、ここは「まったく」にこだわっています。「ほとんどない」ならば、制度的には、後述のとおり保佐相当との考えから)が選挙権を行使できるのか。あるいは、財産管理能力がまったくないけれど、選挙権行使できるというカテゴリーの方は存在するのか、というのがまずひとつ目の疑問。ただ、これは疑問なので、きちんと検証されているのならば、ここは問題ではありません。たぶん、検証しているのかどうかまでは判決書をみてもわからないと思いますが、少なくとももう少し東京地裁の判断材料にふれてみたいと思います。
ただ、19才の方に選挙権がないこととのバランス、というとどうでしょう。もちろんこれは年齢引き下げをいわれているので、仮に14才くらいでもよいかと思います。さらに、このような見解には、未成年保護制度と成年後見制度は制度趣旨が違うという批判もあるかと思いますが、あくまでも、財産管理能力が十分にあると思われる19才にも選挙権を認めないという制度があることとのバランスとしての疑問です。少なくとも後見相当になるのは、年齢でいえば2−3才の子ども程度しか財産管理の能力がないことが前提なはずですから。
一律はいかん、というのも疑問。
成年後見制度は、たしかに本人の保護ですが、他方、一律でないと不都合も生じます。本人保護が最優先で、二次的な目的としても、一律にきめることによる安定性や経済活動での安心というのはあるのは間違いありません。この一律性をまったく不要とするならば、成年後見制度はいらないともいえます。個別具体的に、一つ一つの案件で、能力があったかなかったかを、そのつど判断するか、任意後見のように事前の契約の形にしておけばすむことです。
そして、やむことを得ないかどうか、ですが、現在の運用ではやむことをえなくないと思います。すなわち、違憲の判断に形式としてはここは賛成。
が、「現在の運用では」が、私が後見制度の運用で日ごろ疑問をもっている部分で、そもそも現時点では賛成できないのは、ここの運用をどのように理解しての判決なのかがみえていないからとさえいえるほど、重要なポイントです。
せっかく法定後見制度は3つのカテゴリーをつくりました。でも、中間の保佐のカテゴリーはあまり活用されておらず(これは統計としてもあきらか)、もちろん、実務をたくさんやっている方の印象とか感想のレベルにすぎませんが、保佐ならば後見にした方が認められやすい、保佐の審判には厳しく、どちらかというと後見に引き上げられる印象がある、という感想をききます。
それが事実かどうかはこれまたわからないのですが、一律による経済活動の安定などの二次的な目的を達成しつつ、本人の保護、自己決定権を確保できる「運用」としては、保佐制度をもっと活用するべきではないか、というのが、日ごろ思っているところです。
少し具体的には、選挙権の行使をしたいのにできないのはおかしいと思う程度の方は、保佐カテゴリーで保護。代理権付与制度を活用することで、「後見にかなり近い保佐」まで対応できるはずです。そして、後見は(これは現在もですが)「まったく財産管理ができない方」ですから、これをいっそう徹底する(運用でゆるやかに解釈して、後見の幅をひろげないという意味)。そうすることで、対応できなかったのでしょうか。
一律にするのは自己決定権尊重の趣旨に反するから、後見も一律ではなくす(一律でなくした場合、選挙権を制限する別手続を用意するのでしょうか??)、という方向よりも、後見のハードルをあけて(いや、本来に戻して)、現行制度の保佐をフル活用する方が、制度運用の経済としても適切ではないかとも思います。それだけ厳格に後見をとらえれば、一律に制限することがやむことをえない場合に限定されてくるとも換言できるでしょう。
あえてもう一つ、少々感情論的なことをくわえると、一律うばっては気の毒という方を後見相当と審判しているのも司法です。制度が違憲というよりも、司法権がみずから運用を改善する方が先じゃないのかな…とも少しだけ思います。
まぁ、いつものとおり、私見もまとまらず、くわえて今回はニュースソースに直にふれていない段階ですから、いい加減そのものの見解です。
明日以降、もう少しいろいろな情報にあたって、考えていきたいと思います。
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