2010年 10月 25日 (月)
10月14日の続き(日本の(もはや)古典的合唱曲 )
平成9年に合唱を趣味として歌いだした者にとっては、1960年頃よりも以前の作品は、「日本の古典」です。
私の生まれた年に発表された「筑後川」あたりが、そういう意味で「古典」のラストでしょうか。
先日その筑後川、土の歌を東京混声の合唱と山田和樹さんの指揮で演奏されたライブ録音がCDとして発売されました。
木下先生の「鴎」もここに収録されています。
「古典」と私が思うほどですから、もはや最近・最新の音楽技法からすると、古典的なのかもしれません。最近は合唱が作曲される詩や詞(ここではこの二つを使いわけています。歌詞と歌詩は違うものです)のブームもこの頃とは異なっています。おなじまどみちおさんや谷川俊太郎さん(を、最近は私はやっていますが‥でも、今でもメジャーな作詩・作詞家であることにかわりありません)でも、1960年〜70年頃の作品と、最近付曲される作品とでは、赴きが明らかに異なっているように思います。
そう、そのようにブームとか流行りはあります。
が‥上記CDを購入してきいてみると、それは「古さ」とは決していうことができず、ただ、今とは違う、ということしか感じません。曲も同じくで、最近流行りの作曲技法は用いられていないとしても、だから音楽としてつまらないということは少しもありません。「筑後川」のみなかみから河口までの変化は、曲の中では現実以上に表現されていて、かつ、面白い。土の歌は(大地讃頌ばかりが有名になりすぎているのが心配なのですが、このカンタータは、1〜6楽章があるからこそ、第7楽章の大地讃頌が意味を持つ、と思うのは私だけではないと思います)静かで内省的でありながら、明確なメッセージを(大木惇夫氏のクリスチャンとしての立場もふまえて)ストレートに感じられるという点で、名曲だと実感します。
こういうのが、長い間、そして、とおい未来まで歌い、語りつがれるものなのかな、と実感しました。
東京混声と田三郎先生の間にどんなことがあったのか(あるいはなかったのか)はしりませんが、この10年のあいだ、東京混声が田作品を歌ったことをきいたことがありません。何かあるのかな、と、にわかファンとしては考えざるをえないのですが。だから‥かどうかはさらにはわかりませんが、上記CDには田作品は収録されていませんでした。
でも、前の日記で書きました「水のいのち」を歌う「『水のいのち』の輪」の練習に参加してみて、この作品の「力」を感じざるをえませんでした。だから逆に、山田和樹さんはなぜこの演奏会で田作品をとりあげなかったのか‥と、不思議に思ってしまうほどです。
でも、そんなことは一切関係ありません。
さて、ここで私が「水のいのち」のすばらしさをブログに書いても、それは一人のど素人の日記・感想にすぎませんからそんなものはいりません。何をおいても、1964年の作品が楽譜も100刷を超える再販を重ねられ、今でも合唱のイベントではきかないことがないほどの作品であることは間違いありません。それだけの力を、この組曲ももっている、ということは、ますます実感した次第です。(ちなみに映画「うた魂」で七浜高校も「川」を歌っていましたが、あれはちょっと‥もう少ししっかり曲を考えて歌ってほしいな、と思うところでしたけれど)。
変なところで、「行政書士」として、著作権を考えると、著作権法の目的規定を思い出してしまいます。著作権法は権利者も利用者も、本来はどちらか一方だけを保護する法律ではなく、文化の発展を最終的な目標においています。「後世に残す」ではなく「後世に残る」作品をプロ・アマをとわず、実演家がつないでいくことに、すなおにその意義があり、その視点から改正も解釈もされていくことがもっとも重要なのでは、とも感じます。
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