2010年 11月 29日 (月)
無理もとおせば一定程度は確保できる
以前に、ここの日記にも同旨のことを書きましたが、あらためてまたもこれを感じました。
無理、というか、無謀な要求があったときに、あなたはどうしますか?
喫煙というのは、マナーを守って、それは‥喫煙者は吸うことが楽しみで、だれにも邪魔されないで、自由気ままに吸いたい、という願望はきっとあることと思います。
子どものころ、一時停止を無視して、坂道を思いっきり漕いで自転車を走らせてみたい、と思ったものです。途中に一時停止の交差点が一つ、次にこちらが優先道路の交差点がありましたが、後者も危険性を考えると、ブレーキをかけざるをえません。そんなところを、走りおりるときに思う希望でした。
でも、これは決してやってはいけない。
タバコを吸うって行為は、本来はそういうものだと思います。吸う自由もあります、と思います。だから、他人に迷惑をかけない限り、自由に吸ってよいと思います。が、他人に迷惑をかける可能性があるのだから、配慮してその自由を謳歌するものだと、私は考えていました。
でも‥。
マナー違反ばかりあまりにも横行したので、禁煙席ができ、分煙運動がおきて‥。
そして、現在に至るわけです。
が、もともと周りに迷惑をかける宿命にあるものならば、禁煙や分煙は、周りを保護するためのものです。であれば、禁煙の場所で吸ってはいけないのはルールであり、マナーではありません。分煙がこれだけ徹底された現在において、禁煙席ではすってはいけないのがルール、そして、禁煙席以外でも、まわりに気を配って、マナーを守る、というのが、あるべき姿ではないかと思うわけです。
でも、もし、現在、禁煙席ではないところで、「タバコ、辞めてもらえませんか」といえば、「ここは禁煙席じゃないんだから、うるせぇ、お前が禁煙席にいけばいいだろう」と、どやされるのは、なかば目にみえています。
でも、本来の禁煙・分煙って、そういうものだったのでしょうか‥。
と、いうことを、今日は団体で予約していたファミレスで、そこがたまたま禁煙席ではなく、そこにはいっていった瞬間に、タバコの匂いを強く感じて、あらためて思ったのでした。
と、いう具合に、私は現在はかなり明確な嫌煙論者であることは、もはや否定はしません(喫煙者はテロリストである、という私の持論をぜひ、否定してください。一定の思想に基づいて無差別大量殺人行為をすることをテロというならば、喫煙者は立派なテロリストです)。でも‥それでも、自分の気分が悪いときですら「すってもいいですか」と一言声をかけられたり、少し申し訳なさそうに反対方向を向いて吸っている姿をみると、「別にかまいませんよ」と、いいます。そう、吸っている方が吸っていることでさまざまなストレスを解消したり、心地よい時間を感じていることもわかるつもりです。そこに、ふと、「気持ちの優しい方だな」と思えるような配慮を感じられれば、多少自分が気分が悪くなったり、咳き込んでも、それをカバーできるだけの気概を感じるものです。
そういう気持ちのない喫煙者があまりにも多いから、禁煙・分煙は成熟していってしまったはずなのですが‥。
タイトルのように、少々斜めにこれをみますと、無理もとおせば一定程度はわがままで自分勝手な欲求を確保できる(ただし、私のように批判的にみて、静かに、口には出さないけれど、そういう喫煙者を冷たくみる目線が増えることを前提として)ものなんだな、と思うわけです。
以前から書いていることで、携帯電話も同じです。便利だし、必要不可欠であることは間違いありません。でも、携帯だって、ちょっとまわりに気遣いのある中で、レストランや電車の中で使用していれば、ここまで煙たがられずにすんだはず‥。タバコの二の舞になってしまったわけです。
ワンセグ携帯、ローラーシューズ、携帯DVD、(昔ながらの幅を広げた新聞も?)、iPad(これは、東京の満員電車の中で広げられたら迷惑そのものです。まぁ、その心配が出てくるほどまでは売れていないようですが)‥が、第二、第三のタバコにならないように、利用しているみなさんがマナーをまもることを期待するまでです。
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