2部合唱の魅力
混声合唱団に在籍して、混声合唱をやっていると、混声4部があたり前、という感覚にいつのまにか陥ってしまいます。
趣味(しかも自分だけ)の範囲で、ときどき編曲もするので、その中では、ユニゾンの魅力というのも感じることがあります。複数の声部の流れる中で、突然訪れるユニゾンの魅力は、何にも勝るものはない、と私は思っていまして、合唱曲の勘どころは、ユニゾンではないかと思うほど。
そのような感覚、体験がある中、合唱ならば声部が少ないのは、どうもつまらないと感じてしまうことがあることは、自分でも自分が残念。
でも、W.Byrdの3声のミサなど、4つ目の声部がないからこそ、むしろきれいだと思うほど、3部でこその美しさも感じるし、最近自分が歌った中では、松下耕先生の3部の作品も、すごく魅力的です。ただ、4部を無理に3部に減らしているように感じられる作品は、その限りではありませんが…
それだけに、3部はむずかしい。特に男声には、ときにはアルトの役割をしたり、ときにはテノールの役割をしたり…。
最近、2部合唱の楽譜を購入したことがありました。私は楽譜だけで音がイメージできる能力がないので、譜面づらをみて楽しむしかないため、この2部合唱の魅力は残念ながら味わえません。実際に歌ってみる他ないのですが、なかなか逆に、2部の歌を歌う機会はないものです。
そんな中、今日、同声2部合唱のすばらしさを感じる演奏がありました。
高崎市少年少女合唱団の演奏会にいってきましたが、そこでアンコール的に歌われた「音楽の好きな街」。この歌は、私自身も以前に歌ったことがあります。
久しぶりに聞いてみて、2部だから音が平坦だとか、魅力がないなどと、一つも感じない。むしろ、余計な装飾がないからこそのメッセージの伝達も感じられ、いいなー、としみじみ。
余計な知識があります。
この曲は、岩谷時子さん作詩、芥川也寸志さん作曲。という、いわば重鎮の作品。だから、名前で評価してしまっていないか…と、自分で自分を疑う部分も。
でも、それはどうやら関係なさそうです。詩に自然なメロディ。邪魔することなく、かといって控えすぎない低音部の支え。時には装飾。
高崎市のこどもたちのために作られたこの曲ですが、あまり知られていないのが残念、と、つくづく感じるものでした。
一点。
私がこの曲を歌ったときは、お元気だった岩城宏之さんの指揮でした。そのときに、芥川ほどの作曲家が作ったのだから、そのとおり歌え、という趣旨のことをおっしゃっていました。
それは、曲のテンポだったのですが、本日の高崎市少年少女合唱団の演奏も、大分芥川先生の指示よりも速い演奏でした。子供の声ならではの元気を表現するのには、たしかにこのテンポの方がよいようにも思いますが…。
大人にこだわるつもりはありませんが、これだけ魅力的な作品、いつかは芥川先生の書かれたとおりのすばらしい演奏を聞いてみたい、あわよくば、歌ってみたいな、と思う瞬間がなんどもあったそれでした。
つくづく思うのは、必要ならば現代音楽の技法もよいでしょう。でも、作曲する人の好みや趣味でそれを使うのはいかがなものか。歌は、詩があってこそのもの、というのは、私の「好み」で、たとえば無調にふさわしい詩、12音技法にふさわしい詩。ならば、それはよいと思いますが、いたずらにそれらや、それに近いことをして、技術を競っているだけの作品が排出されていないだろうか…と、シンプルな2部合唱を聞いて思うのでした。
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