広報高崎の特集「救える命を救うために」から
広報高崎に救急車を「明らかな」不適切な利用をしないように、という警告の記事がありました。そこにあがっている「明らかな」は、たしかにひどいな、と思わせるものがありますが、よくみると、「○○で○○なとき」みたいなパターン。一つが違っていると、明らかかどうかは、私は微妙に感じます。その典型が、「子どもが風邪をひいたが、両親がお酒を飲んでいるとき」。風邪は緊急性がないと思いますが(それでも、風邪なのかどうかの判断は誰が正確にできるのでしょうか)、もう少し症状が重く、逆に「緊急時には迷わず救急車を読んでください」と区別がつきづらいくらいのときはいかがなものでしょうか。また、この記事のページの見出しには、「あなたは救急車を呼びますか/「酒を飲んで病院に行けない…」イエス?ノー?」という副題がついています。そうすると、私のような経験があると、「緊急時でも酒を飲んでいるときは呼んではいけないのかな」思えてきます。だからこのページ、何度も読んだのですが、この見出しのイエス・ノーの答えはどこにも書いていないのです。
緊急性の有無が答えのわかれめだと思いますから、緊急性のある子どもの病気ならば、酒を飲んでいるいないにかかわらず呼ぶ。緊急性がなければ、酒を飲んでいればもちろん、飲んでいなくても呼ばない、が結論だと私は思うのですが、これ、ただしいでしょうか。(真剣に、ただしいかどうか、この特集を読んでもわかりません)。
そして、とにかく、一ついえることは、その、緊急時なのかどうかの判断が素人にはできない、ということを前提でこの問題は考えてほしいと思います。
上記の私自身の経験から。
母が夜、22時頃に低血糖症で意識を失いました。母の低血糖の症状のあらわれ方はある程度把握していましたが、そのときははじめてのパターンで、かつ急にきた感じでした。そのために、気づくのが遅れて、食事や砂糖を食べさせるのが遅くなったのもあります。念のためにと、自己測定器で測ってみたら30台後半。
意識がありませんから砂糖水を作って、無理やり口をあけて飲ませてみます。20分くらいたってもう一度測定しても40台前半。もはや口では糖分の吸収はできないのだろう、それならば病院にいくしかない。と、判断して、夜間対応の当番医を確認するために電話しました。それこそ、このときも広報高崎を見て、ですが。
その電話は実は市役所の夜間窓口でした。そこから担当に回していただき…が、ここまでですでに無駄があって、以上の経緯を結局は2度説明することになります。そして、当番医と、たまたま高崎市の緊急医療機関でもある高崎総合医療センターからも自宅は近いので、そのどちらかをすすめられ、より近いということで、センターの紹介を受けました。
センターに電話して、3度目となりますが、また以上の経緯を説明します。センターの方からは、いずれにしても来院してください。という回答とあわせて、救急車手配しますか? というご案内。
その瞬間…今回の記事のような特集を何度も目にしました。だから強い遠慮がはたらきます。交通事故などとは違うし…と。
そこでの私の回答は、自分でいきますので、どちら(窓口)にいったらいいですか? という趣旨のものと、おりてからがおぶっていけないので、車椅子をお願いしますというものでした。
が、22時。その日は夕食ではお酒もいただいていましたから、タクシーを呼ぶしかない(仮に自宅が市街からはずれていたら、たぶん私は飲酒でつかまることは覚悟の上で車で乗せていったと思います。だから、市街地からはずれている人のことを考えるとますますこの日記の結論を強く思うのですが)。普段呼んでいるタクシーに電話したところ、夜は運転手が少ないからすぐにまわせないとの回答。仕方なく高崎市最大手の会社に電話。こちらも今はすぐにはないという話。それならばと、普段頼んでいるタクシー会社に、できるだけ早くとお願いして、手配をしました。結果的には15分くらいできてもらえたでしょうか。
その間も、なんとか口をこじ開けて砂糖水を与える作業です。が、その成果か、タクシーがくるころには意識が戻り始めていて、うわ言をいえる程度までになっていました。なんとかタクシーに「押し込んで」乗車。
しかし、タクシーがなれていない方だった…。医療総合センターは知っているものの、夜間窓口がどこかわからないという話で、正面玄関にいって入れず、病院の周りを何周かして、ようやくたどりつきました。結果、低血糖症に気づいてから1時間30分くらいかかっています。
車椅子に乗せた直後は座位の自立もできない程度でしたが、(夜間緊急なのに)他の緊急の患者がいるということで少し待ち時間がありました。その間に、母は砂糖水の効果が出たのか、車椅子で自立できる程度になり、簡単な応答はできるまで快復。なによりもホッとするところです。
そこでようやく医師の診察。
低血糖ということと、測定した数値を話した程度で、まずは医師の指示で血糖値を看護師さんがはかり、ぶどう糖液をいただきます。その間、また他の患者さんを診にいき…戻ってきたときには、母はぶどう糖の効果はやはり蔗糖より早いのか、急激な快復をしていました。するとその後は、病歴を聞かれた後、延々と今までの糖尿病コントロールの問題点を説明され、最後に延々と「この程度のことでウチのような緊急医療機関を使ってもらっては困る」という説教でした。母本人は大分快復したとはいえ、まだボーっとしていたのでなんとも思っていないようでしたが、あまり説教が長いので最後は「他に緊急の患者さんはいらっしゃらないのですか」くらいのことは反論したいのを抑えてのタクシーでの帰宅でした。
それでも最大限度遠慮して救急車はことわったのに。
意識が30分くらいなかったんですよ。
素人がそれを緊急性がない、「この程度」と判断できますか?
(コントロール方法の不備は、母の性格や環境を考慮して、主治医と相談してきめたこと。その性格や環境を考慮しなければ教科書的には間違いだらけだろうけれど、それをなぜ、こんなとき(快復しはじめたといっても、まだ動転しているとき)に、延々と話すの? ということとあわせて)
は、ずっと内心で叫んでいることでした。
今も私は、この体験で、怖くて救急車は呼べません。そして、躊躇したために手遅れになることもありえるという自覚ももっています。
もし、このときに救急車をお願いしていたら、まさに今回の『広報高崎』の不適切利用の一つ「子どもが熱を出したので病院にいきたいが、夫婦とも酒を飲んでしまった」と同等に見られていたのではないでしょうか。
さらに、怖くて緊急医療機関にはいけない。
はじめてのパターン(たいていは母の低血糖は震えとシャックリが初期症状なのですが、このときはいずれもありませんでした)できた低血糖症で、それがスタートからすれば2時間以上。完全に意識を失っている状態も30分ほどあり、医療機関を探したり、タクシー手配という時間の間に快復しはじめたわけですが、これを緊急ではなく、「この程度」と、素人が判断できるでしょうか。そんな状況を、3度も説明しましたが、医師本人には実は話をしていません。市役所の夜間窓口と、対応窓口と、センターの受付の方にお話しただけです。そのような中で、忙しい中、わざわざ時間を作って説教していただくほど悪いことをしたのだとしたら、わからないから怖くて使えない、と思うのも当然です。また幸いにして快復しはじめてしまったら、延々と「ご指導」いただくことになるのか…と。そうなると、死ぬ病気で死ぬときにだけ救急車と緊急医療機関は使うものだ、くらいにさえ思ってしまっています。
だから、不適切な利用をやめるように、という記事や特集はもちろん仕方ないところなのですが、同じくらい、いや、それ以前に、適切な対応方法そのものを啓蒙することを、医療関係者、行政機関にはお願いしたいところです。
そうでないと、逆に怖くて遠い存在になる。専門家は怖くて遠い存在になったらおわりです。それこそ、救える命を救えなくなるかもしれません。
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