2012年 2月 18日 (土)
電子ブックがもたらした楽しみ?
電子書籍リーダーを買ったおかげで、仕事以外の本も持ち歩く気持ちになれました。
そのおかげか、合間にときどき単なる関心だけで購入した本を読む機会が増えています。
最近、入門中の入門の哲学書と、以前から宗教そのもののを解説したものを数冊…。むずかしいのは読んでもわかりませんから。
いくつか感じたところで、日本人は外国人と交渉するときには、英語よりもキリスト教を勉強しろ、という趣旨の記事をみたことがありますが、なんとなくそれはわかるような気がします。そもそも「契約」という概念が実に一神教らしいところですし…。
そういえば学生時代にも、裁判での「宣誓」は、日本人が日本の裁判でやって意味があるのか、ということを話し合ったこともありました。法律で偽証罪があるから、その前提として宣誓するのではなく、唯一絶対の神との契約だから宣誓に意味があるのでは? というところです。そういえば、当時の学部ゼミで、日本でなぜ陪審制度(昭和3年のもの。現在の裁判員制度ではありません)が定着しなかったのか、というテーマのレポートをまとめました。本音としては、「それは陪審制度に対して信仰がない。そしてなぜ信仰がないのかは、「神」(いや、“God”。野球とベースボール以上に、神とGodは違うと思いますね…)との関係がないからだ」というのが私自身の中での結論でした。
最近の経営や経済に関する書籍も、それぞれの本では直接触れませんが、○○哲学的な側面みたいなものは随所に感じますし。
決して直接的にこれらの思想とか哲学とか信仰は、現代の実践的な理論などにつながりませんが、関係を整理してみると実に面白そうなところです。
昨日も電話でですが、2/5のリヒトクライス演奏会の指揮・指導者であった鈴木先生とのお話の中で、「水のいのち」のキリスト教的部分と、仏教的部分と、それを作曲家がどう表現したか、というようなものも出てきましたが、そういう話にも深みを与えてくれるような気がします。そういう視点で研究すると、同じキリスト教徒でも田・高野(水のいのちの作曲・作詩)コンビも、宗派が違っていたこともおもしろい何かがあるのかもしれません。(音楽ついででいくと、ルネサンス〜バロックの宗教曲も、作曲家がカトリックか否かで面白いところがずいぶんありますが。)
と、いうような関心をもつ“志向性”があることは自覚しているので、これにはまらないようにしないと…はまったら人生狂いそうですから(^^)。
この記事のトラックバックURL
./tb.cgi/162
192.151.145.170 192.151.145.170
192.151.145.170 192.151.145.170
|
ugg 価格 オーストラリア http://www.doremo.jp/ugg34807/index.html