2012年 4月 4日 (水)
血は水よりも濃い
(お断り:この日記は、4/4に記載しましたが、関係者にとってその当時は不利益となる可能性があったので、公開を保留していました。)
ごく親しい方などには話をしていた場合もありますが、父親違いの兄がいました。
突然、2日になくなったという知らせが‥。
父親違いですから、ドラマの世界よろしく、わたしは面識がないこともおかしくないし、関係なく親しくしていてもおかしくないし。ただ、母の言葉によりますと、母が離婚するときに、お母さんについてくる? お父さんについていく? ときいたら、お父さんと答えて、おいてきたのだそうです。それもどこまでたしかなのかはわかりませんが。
ただ、母とすると、子どもに母ではなく父を選ばれたのは相当にショックだったようで、少なからずわだかまりがあったのはたしかのようです。とはいえ、わたしがその兄の存在を知ってからは、ときどきどうしているのかな、と、口にすることがありました。
ふとした縁で、10年近く前、その兄と母が再会することがありました。私も同席し、私からみると義姉も、甥っ子も同席しての再会でした。
その後は、特別近しい関係を保つでもなく、ときどき電話がきたり、年賀状のやりとりをしたり、というところで、こちらからの連絡は、母の体が衰えていくのとあわせて少しづつ減っていた、というような状況でした。
現実、私が兄と最後に会話したのは、昨年5月ころの電話。7月ころにこちらから電話したときは留守番電話で話をすることはできませんでした。その頃、母が義姉に電話して、状況をなんとなくきいたのが最後だったかと思います。
そんな中での兄の突然の死の知らせ。
上記のとおり、母の元夫の実家においてきたわけですが、その後は、その妹夫婦と交流があったようです。連絡をくださったのは、そのご子息、兄からみるといとこにあたることになります。
葬儀やお別れ会などをどうするのか。わかれておいてきた子どもとはいえ、血のつながりのある実の親だからと連絡をくださったそうですが、母はおまかせしますとの回答。そして、私にも、おいてきた子なのだから、私は関与してはいけない。だいいち、親より先に死ぬ親不孝のことなんか‥というようなことも語っていました。
が‥上記の連絡を受けて母がこの事実を知ったのはデイサービスにいっていたときでした。デイの職員によると、少々ふさぎこんで涙ぐんでいたときもあったそうです。体調が優れないと最近はお酒も一切口にしていませんでしたが、火曜、水曜と少々口にし、しかし、それは何かを紛らわしているような姿。
あいかわらず今日も、関係ない、私は出てきたんだからと、なんどか口にするところが、やはり逆に想いの強さを感じることろです。
今回、母がデイにいっている間の通知でしたから、母にいわないこともできなくはなかったところ。伝えたことがよかったか悪かったか。今はわかりませんが、思っている以上に寂しさを感じているのはつたわってくるところです。と、書いているときも、なんとなく想い出話をぼそぼそと‥。
血は水よりも濃し、というのは、まさに実感するできごとでもありました。
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