2012年 5月 2日 (水)
憲法記念日が明日となり
ふと、新聞をみていましたら、元総理大臣の中曽根さんが、このままあの世にいったら、まだ憲法改正を実現できていないのか、と、先輩に怒られる、という趣旨のことを書いていました。
うーん、94才になる中曽根さんの先輩とは…。
当然自民党の改憲論者のみなさんのご意見にそった改憲ということになりますが、私は、このブログの前の旧日記から、「より戦争をできなくするように改憲」という意味での改憲論者です。ですから、自民党の改憲論とは正反対かもしれません。
明日はそんな中の憲法記念日。
もともと政治制度とか経済の仕組みは興味がなく、学生時代も法学部にいて、その法学部の方針として政治とのかかわりを重視していたのに、政治と経済は嫌い、と公言していました。だからなのか、学部4年のころは、当時としては純粋に理論に走れる民訴が非常に面白く、政治的背景を前提にしなければならない刑訴とはちょっと違う魅力を感じていました。でも、大学院は刑訴で進んだあたり、実は、考えるところが変わった部分があったのは、自己分析としても事実です。
そんな私が思うのは、たんなる思いつきにすぎませんが、実は現在の経済の基本構造がそろそろ限界にきているのではないか、と最近は思っています。そんな超マクロな話し、マクロ経済学をさらに超える超マクロな話は、まさに机上の空論で、なんら実生活に役立たないと思うのですが、だから、自由な発想(妄想ともいうかもしれない)ができる世界だとも思っています。
世界でいくつかの国が経済的に破綻し、その予備軍も多数あります。日本も現実に目を向けると、その予備軍にあることは否定できないでしょう。ただ、日本のそれは、昨今の国内情勢と同じく、「黒字破産」ではないですが、国民生活は世界ではトップレベルの「豊かさ」にありながらかもしれないところが、特殊かもしれません。
が、そんな特殊な破綻をうむかもしれない、ということこそ、スタンダートな経済理論や政治理論がもはや世界経済、世界情勢の中では破綻しているから、と、私は素直に考えれば考えるほどなるような気がしてなりません。
そんな中での憲法記念日です。
「憲法」の定義にもよるかもしれませんが、憲法が国家の最高法規。それはそうかもしれませんが、これだけグローバルな地球になって、国家の最高法規の意味もかわっているのではないか、という視点。このところ、それが気になって仕方ないのが正直なところです。「たかだか国家の最高法規」は、世界情勢の中で、地位がどんどん軽くなるのではないでしょうか。
もちろん、それには法学部の講義的には、条約と憲法とか、国際協約と憲法の優越の話し、その前提には「主権とは」という話しが当然きますが、そんなのはまさに机上の空論。主権をどのように定義しようとも、もはや国際情勢の中で、国をどちらに向けていくのか、と、考えないとなりたたない世界になっているかもしれない。そんなことも考えています。主権の定義、あるいは国家の定義から、国家は不可侵だ、といっても、世界情勢、世界経済という事実がそれは無視するでしょうか(でなければ、TTPもそうですし、アメリカの影響力の下でさまざまな政策決定をしなければならないことは、日米安保だけでは説明できないでしょう)。
が、私の現在の立場や仕事からは、それは暇なときに考えるだけ。
だから、ここまではとくに単なる雑談です。
そもそも仕事として行政書士を選択したのは、国民一人一人にまずは立ち返りたい。ということです。
そんなちっぽけな私に限らず、まず、人間一人一人にとってどうすることがよいことなのか。
私の好きなことばに、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」とありますが、そう思う個人が集まる世界だけがこれを実現するのではないかと思います。
そういう目線での改憲を私個人は考えたいと思っています。
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