趣味の継続
昨日は所属している合唱団の60周年記念演奏会の会議でした。
もともと2013年に予定していましたが、会場の都合などもあって、2014年5月頃の予定ですすめています。
今日の「日記」は、会議そのものの話題ではなく、趣味というのは、何がなんでも続けていくことが大切なのか、それとも、趣味なのだから満足できないならば、中断も選択肢なのか、というのは、最近考える機会が増えていて、それを昨日の会議中は実感した、というネタです。
というのは、もともと私は、お付き合いのある会社や関与先の関係で、17時30分くらい以降に依頼や相談がくることが多く、急ぎやそれほど時間のかからないものはそれをすませて業務終了! というのが1日のパターンでした。ですから、外向きには17時まで、と表示しておき、17時30分をすぎたあたりからは、はじめてのお客様からの電話などはできるだけ少なくして集中してこなす、というパターンでもあったわけです。
もちろん、自営ですから17時に仕事か毎日おわる、ということは求めていませんが、夜の予定がくめるくらいのレベルではありたいところ。しかしこれはある程度は仕方なく、私の仕事のネットワークやお客様は、日中現場に出て、あるいは外周りでもどってきて、それを私に連絡する、という業態の方が多いといえるからです。おそらくは、私に依頼して先方は業務終了、あるいは簡単なものは私からの回答をまって帰宅するぞ、というところで、それに対応することは仕事の面からすれば、喜びでもあります。
それで、だいたい趣味の会合は19時スタートがほとんど。
いつも18時45分くらいのぎりぎりまでで終了して、夕食を15分ですませて…というパターンで、これがふりかえってみると7年くらい続いていました。
しかし、最近はその17時30分過ぎが少々増えてきました。
それでも、少し延長して、少し遅刻くらいでいけるかな、という分量なのですが、(時間のかかるものは、趣味からかえってきてからとして)ここに別の要因が2つ重なってきました。
1つは、「母の夕食」という問題。
もともと時間できっちり食べることが、内科の疾患には好ましいので、遅くなることはよくないわけですが、それでも夕食を並べるだけ並べて、でかければ19時前半には食べてもらえます。これも、そのようにしたとしても苦渋の選択で、食事はできるだけ一緒にとりたい、というのも基本的な考えには反することになります。とくにその僅かな食事の時間の会話を持つことが、結局はさまざまな病気の進行を遅らせたり、あるいは病状の変化に気づくものとも思っているからです。
とはいえ、毎日でなければ、というところで、でかける日だけ夕食は別々でも仕方ないか、というところまでは、気分的にはゆずれます。だから、上記の17:30以降が増えた+母の夕飯の問題だけならば、まだOKなわけです。しかし…
2つ目は、夜の外出そのものが増えたこと。
だから、1つ目の最後の、「毎日でなければ」が、そのままだと「毎日」になってしまうわけです。そうすると、趣味ででかける日は、「毎日でなければ」の「でなければ」の方に割り当てる必要が出てきます。結果、19時10分くらいに食べ始めるとして、母の夕飯は非常にゆっくりですから、食べ終わるのは早くても19:40くらい。実は、できることはやらせることが大事、という方針から、夕食の洗い物は、母がしてくれるように「仕組んで」います。「気が向く」としてくれるのですが、気が向くように仕組んででかけるわけですが、実はこれ、自分で洗った方がはるかに時間的には短くすみます。なので、仕組む作業を含めると、さらに10分くらいかかってしまうのです。
というわけで、最近の趣味への出席は20時近くからがほとんどという状況になってしまいました。まだ、練習会場が近いことが救いで…。
考え方として、趣味なんだし、仕事の都合、家庭の都合なんだから仕方ない、というのも一つ。実際そうはっきりと言って割り切っている方もいるようですから。
でも、私は性格的なものもあるのか、趣味だからこそきっちりやりたいと思うし、私の趣味である「合唱」という趣味の性質的には、「仕方ない」ではすまないと思う部分が多々あります。
比較として、たとえば(共作ではない)絵画や短歌・俳句の類や、1(先生)対大勢での知識の習得(英語教室とか、○○教室の類)の趣味ならば、仕方ないと割り切るのも一つです。おなじ集まりの他の生徒同士では、それほど大きな迷惑はかけないですむと思うからです。
そう思うとともに、実はこちらがより重要で大きなことなのですが、人によっては余計なコンプレックスとみるかもしれません。私はどうも音楽関係の趣味は、常に「自信がない」が原動力にもなっているし、壁にもなっています。「自信がない」からこそ、人とおなじ練習はして、人と違うことを別にして練習に望むからこそ、ついていける「自信」が多少は生まれてくるというのが、この趣味をはじめて15年の経験です。その根本部分「人とおなじ練習はして」が、20時からの参加では維持ができないわけです。
ときどき、「遅刻や(欠席はそれでも、金曜の練習はほとんどなくきているのですが…ときどき20時45分に到着、なんてあるので、これは欠席に等しいですが)欠席が多くなると、ついていけないし申し訳なくて…」なんていう話しを団員同士ですると、「そんなに真面目に考えなくてもいいじゃない」と、いってくださる方もいます。それは、1つ目の理由には多少はフォローにはなりますが、この2つ目の理由にはまったくフォローにはなりません。ましてや、本心でいってくださっているとすれば、いよいよ「ついていけているか」が気になるし、本心でなければ、ご迷惑をおかけしてすいません…という気持ちは強くなるしで、どちらにしても私には実は重いコトバになっています。
60周年の演奏会の会議の中で、なぜこれをあらためて思ったのか。
60周年だから、OBやOGにも参加してもらおう、という話は以前からありました。私もこれはかなうならば賛成です。一人でも多くの輪がひろがることは、純粋に楽しみですから。
ですがその中で、「過去に歌った歌だから、いきなりでも歌えるだろうし」という意見は、普通に飛び交っています。
「いや、そうじゃないんじゃないの…」
と、ずっと言たくて、しかし言えないで、というのが昨日の会議でした。
基本姿勢として、既にとれた合意事項として、「発表会のようなものではなく、きちんとした演奏会にしたい」というのはありますから、そうなれば、聴衆ありきのはずです。お客様に、時間をさいて集まってきた方々がいらっしゃるのに「いきなりでも歌える」はないでしょう? というのがその理由です。
「合唱は一人が全部を壊すことができる」(ちなみに、技術面はその逆「(単に声楽的にではなく「合唱歌手として」突出した)1人が全体を引き上げる」こともあるのが不思議なところです)、「悪貨は良貨を駆逐する」とまでは言いませんが、「いきなり」という方が混ざることで、どれだけのマイナスがあることか。いきなりだけでならば、ときどきアマチュアの演奏会では演出としてやる、“アンコールはよろしければご一緒に(ステージにあがってもいいですよ、というのも、ときどきあります)”、でやればすむことです。
もちろん、現役を引退したり、他のご都合もあるOBやOGでしょうから、短期間の復帰をしていただいて毎回の練習に出て、とまではいいません。しかし少なくとも2014年に開催がのびて、時間はそれなりにあります。少なくとも1年くらいは、半分くらいの練習に参加して、音だけでなく、「メンタルハーモニー」も含めた練習として、というレベルは求めてもおかしくはないと私は思います。
が…。
言えなくては、今、自分がそれを言える状態ではないからで…。20時到着では、私が半分しか練習に参加していないことになりますので。
そうなると、冒頭の話にもどってきます。中断も選択肢なのか…へ。
時間に厳格にではなくても、ある程度いけないことのストレスと、まわりへの迷惑度(これは指導者に直にお聞きすればよいのかな…)あたりを考慮して考えてみたいところです。
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