単なる感想。されど感想
ぐんま親子合唱団Earth という団体の初演奏会にいってきました。
実はちょっとした「思い入れ」のある合唱団です。
私の現在の合唱仲間の多くは、私は高崎コスモス合唱団というところにかつては所属し、そして、その合唱団の創団(H9年)のときのメンバーということもご存じのようです。私が合唱をはじめたのは、この高崎コスモスがきっかけ、ということは、意外と知らない方が多いようですが、実のところ、私の合唱歴はそれほど長くはないというのが現実です。
なので、私の合唱初ステージは、その高崎コスモス合唱団の演奏会だろう、とよく思われているのですが、実は、私の初ステージは、「子どもの人権宣言合唱団」の演奏会です。
その経緯は、まぁ、ここでは割愛しますが、本日いってきました「ぐんま親子合唱団Earth」は、その流れをくみ、指導者も同じ長井学先生というつながりから、「思い入れ」のある団体というわけです。
思い入れ、とともに、先日ここの日記8/15(
http://nongun.sakura.ne.jp/blogr/blog.cgi?n=191)で、演奏会などの芸術にふれたときに、周囲にまどわされないで「感じられる」ようになりたいが、それが難しい、ということにふれました。中でも、「まずは自分自身の感情の起伏があります。」と書いたように、鑑賞する側の感情というシロモノがあるわけですが、今日の演奏会は、もう、それは抜きです。上記のような「思い入れ」ベッタリでよい。そう思って会場に向かいました。
そう思う理由は、最近の自分の合唱に、あるいは趣味に対する接し方に、迷いがあること。原点回帰ではありませんが、きっとそういうことへのヒントも何かあるだろう。そう期待していたことは、ここからははずせません。
さらに、林光先生、高平つぐゆき先生がお亡くなりになり、その追悼という側面も。
そんな中で、感情の起伏抜きに鑑賞することは不可能だし、今日も紹介されていた「ソング」の趣旨からすれば、演奏する側が意思(そういえば、意志かな、意思かな、林先生は使い分けていたようですが)をつたえるならば、受け手だって意思(いや、ここはやはり「意志」だな)なく受け止めることは許されないでしょう。
で、感想的なことを少々。
まずは、懐かしい面々が! 横田先生お元気そうでなにより。
平野さんは‥ご一緒したことはあったかな‥でも、群馬の合唱では有名なお方ですから(^^)。そして、なによりも長井先生。2007年の交通事故はお聞きしていましたが、まずは先生のお姿を拝見できたことがなによりでした。他にも、見覚えのあるようなないような‥というお顔がステージの上に。
演奏は実は、もう最初から「感傷モード」に入ってしまいました。「夢へ」あたりは、もう、目をあけては聴いていられない状態。もともとこの歌は特に思い入れがあり、また、詩の訴えたいことも、おそらくは、この合唱団の意志そのものでしょう。私自身も、決して国立歌劇場の意義を否定するつもりはありませんが(いや、個人的には「共存」して欲しい。なお、この1文の意味は、この歌の歌詞をお調べください。市販されている楽譜やCDにも収録され、比較的容易に手にはいります)、この歌を初めてきいたときは、林光先生の「ゲリラ」要素を強く感じて、印象に残っていました。そして、1部全体からちょっと冷静になった感想としては、林先生の奥行きをあらためて感じるところ。とり方によっては強い社会風刺の歌ばかりでしたが、それがサラっと(でも、ちゃんと残る)歌われるあたり、さすがとしかいいようがありません。
2部は高平先生の組曲でしたが、それほど多くの歌を知っているわけではありません。草創期高崎コスモスで、歌う方は高平先生の編曲作品にふれた程度で、聞く方もそれがきっかけで作品集CDをもっている程度。でも、記憶として音遣いはちょっと印象的なところがありました。今日の作品は初聴でしたが、でも、その独特な部分が一曲目イントロからあらわれて、いろいろな意味で安心できるものでした。
演出では決してなく、「親子合唱団」ですから、子供の声、というものの存在も大きい意味をもちます。私はむやみに子供を使うのは大嫌いですが(高崎コスモスの3回目の演奏会で、団員の子供をだすということになったときに、大反対したのは私です)、今日のそれは、むしろ不可欠で子供なしには語れないものだったと思います。1部最後の「うた」や、アンコールの「願い」での子供の担当パートは、憎いくらい効果的なそれでした(あえていうと、仕上がりも1部よりよかったのでは??)。
冒頭のような思い入れがあったからそう感じただけかもしれない、という危険は承知の上で、やはり歌は、歌いたくて歌わないとつたわらないな、ということ。あたり前のことかもしれませんが、だんだんと当たり前ができなくなってしまう「環境」や「条件」があったりするものです。
比較的発音もしっかり、コトバもつたわりやすい演奏でしたが、それでも合唱の宿命? で、作曲家がどんなにコトバを大事にして作曲しても、コトバが聞き取りづらい音形やハーモニーはあります。だから、全部、とくに初聴の歌の歌詞を聞き取れたわけではありませんが、コトバよりも意志ではないか、というところでしょうか。
特に群馬県の合唱団の多くの例にもれず、「男性が不足しています」と、横田先生がおっしゃっていましたが、男性も少ないなりにきちんと支えていたと思います。たしかに、ベースはもう少し、どーーんとあった方がいいかな、と思う部分は否定できませんが。個人的好みのレベルでの技術面は、むしろソプラノにあるように思いますが、そういう細かいことは無関係の演奏会、というのが、やはりありきたりとはいえ、感想の最終的な到達点です。
ところで、アンコールの2曲。
2曲目の「ねがい」は、長井先生が指導している合唱団ならば、きっとやるだろう、と思っていたので、全然不思議はないのですが、もう一つの「ぼくたちのオペラハウス」。上記の「夢へ」とあわせて、こんにゃく座のテーマソングであり、オペラを題材にしていますが、こういう合唱をやりたいな、といつも思っています。
それができるのは‥。群馬にいくつ合唱団があるのかはしりません(連盟加盟うんぬんという意味では、60程度ですが、ここも含めて、連盟に加盟していない団体も相当数ありますから)が、一日だけのオペラハウス(合唱ステージ)を、積み重ねていける素質があるのは、もしかしたらこの合唱団だけではないかな、と、想いながら拝聴しました。
感想をつづればいくらでも出てきそうな演奏会。だから、この辺で区切っておきますが、冒頭の「原点回帰」の件。
一昨年、東京のリヒトクライスに参加して、田三郎作品への真摯な姿勢を体験しました。今日も実は一曲だけ、「心の四季」の「雪の日に」に出てくる「どこに純白な心などあろう」を彷彿とさせる部分がありました。
リヒトクライスでも、大きなヒントをいただいたことは間違いなく、それがその先2年の今の自分があります。
合唱を詳しくご存じの方からみると「どうつながるの?」と思われるかもしれませんが、私のレベルでは、この2つは同じ「核心」があります。そこが私のこれからを考える大きな「核」になるのかな、と思いました、というコメントで、この日記をおわりにしたいと思います。
ということを考えさせてくださって、大きなヒントをくださった合唱団の皆さん、長井先生、ありがとうございました。
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