誕生日のメッセージをいただいて
facebookという仕組みのおかげで、facebookではたくさんのお祝いのことばをいただきました。
長くなるので、その御礼の意味もふくめて、思ったことをこのblogに書いています。
2月ころの記事に書きましたが、今年は、「心の四季」という合唱組曲を歌う機会がありました。
この歌は、はじめてきいたときに、本当にいろいろなことを思い出させてくれた歌です。歌に関係してではなく、生き方? にも影響を与えたような。もともと吉野弘さんは好きな詩人でしたし、そこに、詩への取組み意識の強い・高い田先生の作曲ですから、当然といえば当然かもしれません。
合唱をかじったことがあると、たいていはきいたことがあるともいえるほど著名な一曲がこの組曲ははいっています。「雪の日に」。
今日一日、facebookでは、メッセージとともに、本当にはずかしくなるようなおほめのことば、期待のことばもいただき、それを拝読しながら、この歌を何度も思い出していました。
一度、私自身、ある意味で失敗をしたことがあります。
当時、「いい人」を気取ったり演出したつもりはなかったのですが、本当にもったいないお話しで、そのような評価をいただきました。そして、当然それには答えようと思います。そして、答えるとまた、そのようなおことばをいただき…。
マジメな性格だと、下手をするとこれで鬱症状がでたり…という方向にいったのかもしれません。
でも、私はそんなにマジメではないので、最後は期待にそえなくてもいい方向を探していました。
信用とか信頼というのは積み重ねなのだな、とつくつぐそのあとに思ったものです。
そこだけみると「失敗」でしたが、「ある意味」とつけたのは、もし、そうしていなかったらどうなっていただろうか、ということまで考えた場合です。もしかするともっと大きな問題がおきていた、という可能性も否定できないと思います。
そして、そういうことを考えて、また新しい気づきがあったことは、「成功」かもしれません。
「雪の日に」では、永遠の白さを期待される雪は、汚れを隠すために降り続く。激しく。曲の中ではそんな場面が歌われていますが、止まない雪はありませんし、雪国の雪だっていつかは汚れます(万年雪の高山とか、北極圏でもなければ。詩人は山形の方ですから、夏になれば消える雪をうたっていたものと思います)。でも、自らの手ではどうにもならないところまで降り続けたあとだからこそ、控えめな真昼の星に気づくことができるのかもしれません(組曲でも、連作の詩ではないようなので、つながりはないのかと思いますが、次の曲であり、組曲の終曲が「真昼の星」。そういえば、「気づく」より「真昼の星になることができる」という方がしっくりくるかも。いずれも勉強不足なので、詩人がどのような意味を託していたのかはわからないので、私の解釈です)。
ちょうどその「雪の日に」をはじめてきいた頃から、一休宗純が好き、ということもときどき口にします。実はこれは、そんな失敗から感じた憧れです。ありのままであり続ける方がもっとむずかしいことだ、と思うからです。
一つ思うのは、自分のやるべきこと、やりたいことを素直にやった結果で、おほめのことばをいただいたた、評価されるべきではないか。どこかに、「期待に答える」「いい人であり続けるために」という気持が入り込んできたら、それはいいことでもないし、自分自身にも負担になるだけではないか、ということです。
そのバランスがくずれると、身勝手とか、気分屋といわれるのかもしれませんけれど。
そうすると、「ほめられもせず、苦にもされず」という宮沢賢治のことばはすごい…。
そんな、答えをださないのはいつものことですが、また、そのままでこの年齢のこの1年もいきますので、ご指導よろしくお願い申し上げます。
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