2012年 10月 5日 (金)
満員電車という極限でみるマナーの低下?
子どもの頃、電車通学していて、通勤時間帯の大人の人は満員電車の乗り方がうまい、と思っていました。図々しく楽する人と、混んでいる中でも降りられない人が出ないように自然に配慮するといった「相互の配慮」があること、という2側面でなのですが。
昨日久しぶりに「ギュウギュウ詰め」を経験しましたが、わずかに通勤時間帯をはずれていたからかもしれません。昨日の印象は「図々しく楽する人」だけになってしまったな、という残念な気持。
高度成長の負の側面の象徴のようで、満員電車は誉められたものではありませんが、だからこそ、あのような負の側面の中での「もう一つの側面」の方の、「相互の配慮」というのは、「東日本震災のあとの日本人」として評価されたように、日本が誇れるものだと思っていました。
入口近くで踏ん張っている人。降ります、といっているのにど真ん中で(向こうもきっと意地になって)動かない人。そしてこれは最近の問題で、スマホで夢中な人。ガラケーも迷惑でしたが、ガラケーは片手なのでまだ、スペースが少なくすみます(それでも迷惑ですが)。しかし、スマホは結構場所を食う…。(私がゲーム嫌いということを抜きにしても)それも、今しなくても、今スマホを操作しなくてもいいでしょう? という、ゲーマーが結構いるのは驚きです。子どもの頃は、ちょっと鞄の位置をわざとかえたり、体の角度をかえて、そういう人をみると(当時は新聞・雑誌ですが)わざと読めないように意地悪したりしていましたが、昨日もついついそれをやってしまいました(やって楽しんでいました)。
なによりも、入口付近で意地になって動かないのは本当に迷惑です。入口付近は足場もない状態でしたが、ちょうど吊り革がはじまるあたりで男性と女性が踏ん張っていて、吊り革のある奥の方は、普通におしゃべりができるくらいの混み具合でした。それで、満員のために乗るのをあきらめた方もいましたから、どれだけあれが迷惑な行為なのか、踏ん張っていた本人たちは認識していたのだろうかと。
極限状態でこそ本当の性格がわかる、なんて言い方もありますが、満員電車は日常的にある極限状態に類似した状態で、古き良き、自然につちかわれたマナーというか、習わしがなくなってしまったのだとすると、残念に思います。
ただ、子どもの頃に思ったもう一つは、通勤時間帯をずれると、そういうことができない人が一気に増えるということ。まさに、24時間戦える企業戦士の、相互の配慮だったのでしょう。ですから、昨日も、あと20分くらい早いと、いわゆる通勤時間帯なので、その時間帯の電車利用者には残っていることを期待してしまいます。
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