正月は愚痴をいって活力に
いつからだろう。
衣替えで季節が終わった服をしまうときに、「来年もこの服を出すことがありますように」という気持ちが芽生えるようになったのは。
お正月も同じで、「あけましておめでとう」と、徳利を傾けるときに、来年もこの瞬間がありますように、と思うようになったのは。
昨年の11月くらいから、本人が気づいてきました。「私、惚けてきたかしら」と。
今までは本人はほとんど自覚していないのか、あるいは自覚してもそれを口にしないでいることができていたのか。
でも、自覚しはじめたのか、口にしないと不安やつらさでやりきれなくなってしまったのか。そのいずれなのかはわかりませんか、明確に口にするようになってきました。
たしかに、昨年の秋からは、もはや「軽度」ではなく「中程度」と医学的には区分されるのだろうな、というシーンが増えてきています。
認知症という病気への接し方も、少しは勉強しました。
でも、勉強した分思うことは、母のそれが進行するのは、あきらかに勉強した内容を実現できていないときです。
逆にいうと、勉強したことを実行できているときは進行を遅らせることができているという感触はありました。
昨年秋からは、それがわかっていても実行できない環境、状況が続いていて、そこに自分なりのジレンマがあります。
そんな「実行できない環境」を考えるとき、思うことがあります。
時代的に私は比較的「遅い子供」といえます。が、今や私の母の年齢で私を出産するのは、むしろ早いくらいというのが昨今の事情。
しかし、親の認知症をはじめとする老年病の一番大事なとき=子どもを含めた家族の協力で進行や悪化が防げるかもしれないときに、社会的に一番責任もあり、多忙な時期を迎えてしまうという矛盾があります。
20代前半の子どもならば、もはや子どもも落ち着いた後にその時期がきます。
そういう視点であまり高齢出産などは論じられていないように思いますが、時代の最先端? か、ここはこの数年実感するばかりです。
子育てと親との同居や扶養を比較してみることがありますが、子育てに関しては税金も政策も次々と優遇策か出てきます。選挙だって、ここで耳障りのいい実現可能性に疑問符をつけたくなるような提案をした方が票がかせげるかもしれない。
そんな「不公平感」を感じるから、私はしばしば「将来犯罪を犯して刑務所で税金で食わせてもらうか、生活保護で生活していくことになるかわからなガキにくだらない金つぎこみやがって」なんて悪たれをつくわけですが。親の介護や同居、扶養は、少なくとも、現実に今の日本を作ってきた人への御礼です。それにまず報いないで、不確実な将来に不確実な期待と夢を託して税金をつぎ込むよりも、よほど大切ではないか、というのは、かなりの部分本音です。
せめて教育ローンならぬ「介護ローン」とか、「学資保険」みたいなものがあれば(これらは最後は返済しますから)税金を使わずにまっとうできるのですが、それすらない。
母がいくつまで元気で、いくつまで生きてくれるかわかりません。
子育てならば、一応18なり22才までという「終点」の計画か立てられます。
現実論として、現在の貯金を崩して母の介護に役立てようと思ったのが3年前。でも、いつまで続くのかがわからないから、年を追うごとに不安も大きくなってきます。
詳細は割愛しますが、介護保険を利用している世帯の一人として、介護保険はすでに破綻していて役に立たないと、だんだんとわかってきてしまっているし。
さて、正月そうそう、3日の夜は、そんなことを感じる夜でした。
そんな中でも、目の前の、やれることをやって、せめて人さまに迷惑をかけないで生きていきたいと思うのでした。
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