合唱団の選曲で思う音楽の使い捨ての責任
いろいろな行事があって、所属の合唱団の60周年演奏会は、延期延期になっていました。まぁ、60年にこだわらない。歴史と伝統は大切だけれども、それは、変化ができるための次へのステップだと。そう、たぶん、現団長はお考えになったのだと思います。
とはいえ、2014年中に行うことは昨年の秋には決定しており、いよいよその始動となりました。
現時点では4ステージ構成。
うち、なんだかんだいって、もう5年近くも少しづつ歌っているミサ曲のステージをつくることは、相当初期から異論なく決定していました。
このミサ曲に取り組むきっかけを提案したのは実は私ですが、入団して3−4年目だったでしょうか。当時アカペラの宗教曲に取り組み、また、そちらにどんどんシフトしていく流れを感じました。ちょうど合唱団のカラーがかわっている最中だったわけで、もともとこの合唱団の特色は、21世紀にはもはや古いといわれることもある、どちらかというと「絶叫型」の曲を得意としているところでした。だからこそ、両方の接点をいかしきれるのではないか、と、かなり激しいミサ曲、「モンテヴェルディ4声のミサ(1651年出版)」を指導の先生に提案したのでした。
という意味では、この曲はその狙いとおりかもしれません。
さて、それでも実は、このステージしか正式決定はしておらず…。が、5日、ついにもう1ステージの選曲がきまりました。
きちんと、ひとつの作品を歌いあげたい、という意見と、いろいろなもののよいとこ取りという意見と分かれていましたが、後者でいくことがきまり、7つの組曲から1曲づつ選択、ということまではきていたのですが、そこで5曲が決定した、というわけです。
ところで、今日の日記ではまだ曲目は書きません。まだもしかするとかわるかもしれないから…。でも、その選曲の際に、候補にあがった7つの組曲の発表年度の確認がありました。もっとも古いもので1961年。そして、1つ例外的に曲集があり、これの出版年度が1990年代ですが、実は、各々の曲は1960年代のものが中心です。その曲集をのぞくと、1979年の作品が「最新」。
もちろん、そののちも魅力的な作品は誕生し、これからも歌い継がれていくことと思います。でも、60年を区切りとしようという2014年での選曲で、候補にあがったものが、1961-1979年とは…! ちなみに、7曲のうち、3曲は私がうまれる前の作品です。
このことをどう考えるか。
もちろん、所属の合唱団の年齢が高く、予想されるお客様の年代をかんがえて、という側面もあります。でも、その40−50年前の作品たちは、いまも普通に合唱祭など、多くの合唱団が集まるイベントでは聞くことができる曲ばかりです。それだけ、歌い継がれているということは間違いないでしょう。
他方、最近の作品はどうか。
歌謡曲と同じく、「流行りのサイクル」が異常に早くなっているように思います。そして、音楽の使い捨てとでもいえそうな状態を私は(合唱の作品にかぎらず)感じています。
また聞きではありますが、もはや中堅のある作曲家が、先輩作曲家の作曲の姿勢とくらべて、伝統工法とプレハブだ、という表現をしたときいたことがあります。もちろん、工事だってプレハブのよさはありますし、言い方、見方をかえれば、音楽の父バッハは、編曲という使い回し、いわば1回限りではない手法をどうどうと使って地位を築いたとさえいえます。ですから、伝統工法での作品だけがよいとは明確には区別することはできません。
それよりも…。
時代ではなく、音楽のユーザーにも責任があるように思います。
すぐに飽きて次を求めていないか?
もっとひとつひとつの作品に真摯に、真剣に取り組んでいくべきではないか。
もし、そういう姿勢がかけていて、次から次を求めているのだとしたら、その結果、「音楽の使い捨て」の状況に陥っているのだとしたら、ユーザーにその責めはあるように思います。
子どものころにかったレコード(私の子どものころはレコードです)。お小遣いの範囲で一所懸命買いますから、たとえば第一印象でよい歌がないな、と思っても、なにか発見がないかと、なんどもなんどもきいたものです。そして、その過程でよさを発見したり、もしかしたら作曲家、アーチストが隠しだしていたメッセージをようやく感じてきたのかもしれません。
これが、音楽が安くなり、収入も子どもの小遣いよりは多くなると、金額的な価値観は下がります。そうすると、第一印象だけで、いい悪いを決めたりしていないでしょうか。
そんな、ユーザーの、子どものレコードのような姿勢があってこそ、音楽を発信する側もそだてられるし、作品も充実していくのではないか、と感じます。
さて、その5曲の選曲ですが、私個人としては、「有名だけどちょっとなー」というものが大半を占めています。歌ったことがまったくないものが1曲。ただ、4曲のうち2曲は、歌ったときは、「何がよいのかさっぱりわからない」というタイプのそれでした。それこそ、でも、反省点として、わからないまま歌っていた、というのは、本来はやってはいけないことだと思っています。だから、今回はあらためて、きちんと理解、いや、理解なんておこがましい。自分なりに十分に考えて納得して望みたいと思います。
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