RSSは反応してしまうが、こっそり愚痴
これは自分の整理のための日記。
母が認知症と診断されて2年。
進行をとめたり治癒はないということで、進行を遅くする努力はしてきたつもりだけど、限界を最近感じて。
この2年認知症と、内蔵疾患の中心となった腎臓疾患の進行を遅くすることは全力をつくしてきたつもりですか、ほとんど効果なし。
その上、昨年からは咀嚼機能がほとんどゼロに近くなってきました。
よかれと思った白内障手術が失敗だったかはわかりませんが、手術のあとの母の「生活目線」の視力(=目医者でする視力測定は、実生活ではほとんど役にたちません)は極端に落ち、もはや歩行も食事も服薬も、目の能力低下のために自力でできないレベルです。
おそらく、これだけ外部刺激がえられない状態になれば、認知症の進行ははやくなってしまうだろうな、と、もはや覚悟をきめるという段階かも。
それも、医療制度と介護制度の妙な矛盾の中。もう少し利用者目線でこれらの制度ができていれば、それにもっとたよることができます。どうせ医療費や介護費用が…と、その支出が国家予算の中で多すぎるという批判があるならば、十分な効果がえられる仕組みにせめてして欲しいと感じます。ようするに、誰も得していない。利用者にとって不便。不便だけどつかわざるをえないからますます利用する。そして、医療費や介護費が増えて、税金が余計につかわれるという状況ではないでしょうか。
環境に目を向けて。
高齢化社会と、その派生ともいえるだろう晩婚と少子高齢化。
変なところで流行の最先端で、私も昭和43年生まれとしては親は高齢なほうです。
実は、だから感じるこの高齢化社会にひそんでいる問題は、介護世代が働き盛り世代に重なってしまうという現実。あまりこれをいっている有識者はいないようですが、これは実はすごく深刻だと思います。
一昔前までのように、子どもを25前後で生むと、介護が通常必要になるであろう時期は、子どももすでにある程度「若手」に仕事をまかせられる世代に達しています。まぁ、これも年功序列社会が前提ですが。
これが、35で子どもを生むと、ちょうど働き盛りのときに介護の時期をむかえます。
介護というか、親の老後をみる、という目線で考えると、すべてがいまの政策や制度はマイナスの方向に向っています。
このような意見に対しては、親の面倒をみないでいいように、年金制度はあり、介護保険制度はある、と、厚生労働省の方はおっしゃるわけです(実際にあるセミナーでそういう発言をききました)。たしかに、一定レベルの収入があるか、あった方は、その制度の活用はできるでしょう。でも、それとて、お金の上では、というだけで、金でフォローして、親も子どもも幸せなのか。ましてや、現在の雇用情勢では、そのサービスを活用できるだけの所得がある人がどれだけいるのか。
私自身、親の世話をするのと子育てはなんらかわらないと常日頃考えています。社会で自立できない「人権の享有主体」を人らしく生活させるというレベルではおなじです。
でも、国の将来を考えると、将来がある(かもしれない)子どもをそだてることに支援するほうがどうしても優先されます。この段落のカッコは、私の最大の抵抗で、いまの社会制度と教育制度そのほかいろいろなことを考慮すれば、将来はあるかもしれないが、国のためになる将来という保障はどこにもない、という趣旨です。
そんな不確実なものよりも、少なくとも住民税と一定の所得税を納めてきた高齢者に、むくいる制度をつくるほうがよほど理にかなっていないか。子どもは親がなくても育ちます。少なくとも刑事学の上で、親が貧乏で子どもが十分な保護をうけなかったことは、犯罪の増加につながっているという研究結果はなかったかと思いますし。
などというと、現実として子どもがそだてられないという意見がきっと出てくるでしょう。
でも、子育てしている人に対して、医療費や教育費の免除、各種控除や減免をするという「場当たり」な政策ではなく、そもそも社会が子どもをそだてることを認容する仕組みをつくるべきではないでしょうか。いまの場当たり的な子育て支援は、私には政治家の票稼ぎ、子育て中の馬鹿な世代(と、あえていいます。動物はすべて子育て中は冷静さを失うものだと思うので)をだまして踊らせているだけではないか。
変な話、働くこと、自由主義の名、資本主義という、本来は基本理念だけで、細部までは拘束はしていないと思う指針に、バカみたいに拘束されて、(部分的にはアメリカかぶれ?でも、前提が違います。人口と国土の違いがこれだけあって、アメリカ的資本主義や自由主義を日本にとりいれる合理性がどこにあるのか)。そんなものに束縛されて目指してきたのは、子どもや親は他人にまかせて、どんどん働け、という社会。だと思うのですが。家族という単位を小さくして、ますますこれをになえなくし、地域コミュニティを壊して、これをになえくして。そこまで犠牲をはらってまでこの方向に進む必要は本当にあったのか。
きっと今どきの若者は、それにたよっていたらプライバシーがなくなるとか、自由が失われるとかいうのだろうけれど。
と、いうような愚痴をときどき書いて。
ブログのアクセス数が少ないからできる技です。
そんなところでガス抜きして、またいつもの生活が続きます。
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