雑感。タイトルつけられないな
所属の合唱団で、60周年演奏会の話が出て、早3年。
60周年を3年もきめられない、というのはいかがなものか、と思いますが、激動の中でこれはやむを得ないのは、内部にいるからこそわかる事情。
ちなみに、本当の60周年は2013年。ただ、60年ぴったりで、ということはそれほど重要でなく、60年をお祝いした(クリスマスと同じです。イエスは12月25日生まれでもなんでもありません。うまれたことを12月25日にお祝いするだけですから)演奏会、というだけです。
ただ、昨年の会議で2014年実施だけは決定となり、それに向っては着々と進んでいます。
でも。
2014年まで遅くなることは、実は強く反対したいところでした。
たとえば、団員の年齢的な限界もあります。と、いう理由づけは、実は意外と説得力があるかも、と思っていました。なにしろ3年以上かけているわけですから、高齢の団員はそこまで続けられるか、というのは切実な問題。若手だって、その間に転勤がないか。転職がないか。リストラにあわないか(たまたま子育てにはいってしまわないか、という団員はいませんが)。
私個人は、私はいくつもの団体に所属してきましたが、この団体の演奏会だけだけは、実は、身内がきた経験がないのです。ストレートにいえば、同居している母親です。私がここに入団してから2度演奏会がありましたが、なんとも、いずれも母は入院中。
だから、一度は、きちんときいてもらえるうちに聞いてもらいたい。
もっといえば、会場まで足をはこべるうちにきてほしい。
2月に、ほんとうに小さいきっかけで足のけがが悪化し、それまでしていた運動も、生活のパターンも狂ってしまいました。高齢者にとって、生活のパターンが狂うことは、こんなにもいろいろなところに影響するのか、というほど、この2月から本日までの母のおとろえは、過去にない急激な下り坂です。
2009年からなんとか…と思い続けて今までおとろえを少しでも遅くすることには専念してきたつもりですが、もはやそれは私個人の維持で、母にはつらいだけかもしれない、と感じるようになったこのごろ。そのくらい急激なこの3カ月の変化です。
とはいえ、ひとつの目標として。2014年に会場まで自力でこられないとしても、外出できるレベルはキープできるように。ここだけはあきらめないでいきたいと思います。
さて、演奏会にきてほしいは、一つのシンボルで、それは主題ではない。
ちょっとした援助、支援があれば、と思うことがすごくふえています。
でも、今の高齢者介護は、0か100です。ようするに、ダメになったらそれなりに援助するけれど、ダメになるまでは、家族がやりなさい、というような感じ。いや、ダメになったらそれなりに援助ではなく、もっともらしく安楽死させてあげる、が、より真実に近いかもしれない。ならば、0にしないのが精一杯の抵抗となりますが、0にしないことは、子育てのような支援政策がまったくない中では、限界があります。
どうせ母意外に養う責任のある人がいないならば、生活のすべてをあてるという選択肢もあるのか。
そんなところが、5/4日の「GWに結論はだせないが」の日記への自己コメントの本意です。でも、一つだけ意見表明すれば、そういう選択しかない社会は、賛成できない、ということでしょうか。
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