へそまがりのオリンピック歓迎コメント
誤解を招きやすい表現になるかもしれませんが、オリンピックが東京にきまった今こそ、スポーツに関係ないところが頑張らないと。
スポーツの檜舞台でときどききかれる「子供たちに夢をあたえたい」とか「みる人に感動をあたえるようなプレーを」とか。あれをきくとへそ曲がりの私は、何様だお前、といいたくなります(プロ選手がいうのは、まさにそれが仕事だからきになりませんが、オリンピックは基本アマチュアですし、ましてや特に数年前の甲子園でもそんな選手宣誓をした方がいましたが…)。
スポーツのあたえる感動や夢は、イモーショナルな部分だけです。
直接種目をやっている子供や関係者にはイモーショナルな部分以外もあるかもしれませんが、それ以外の方には、精神論、気持ちの問題だけしかプラスにならない。
なにもないのに一緒に盛り上がっては、おわったあとの虚無は反動でますます大きくなる危険すらあるかもしれません。
が、とはいえ、たしかに、その精神論、気持ちの問題はすごく大切です。
でも…
だから、このお祭りの決定は歓迎します。
そこからさきが、多くの、イモーショナルな部分以外の恩恵をうけない人たちは、その精神の高揚を効用として発揮できるように、気分だけではなく、実態をともなった目線で受け止めて準備をしないとならない。
たとえば、被災地の復興はスポーツではなにもできない。
経済の再興もなにもできない。
スポーツで元気をあたえてもらって、具体的に動くべき震災復興や経済再興の道筋があるからこそで、道筋がない中で「がんばれ」といわれても、何もおきないわけです。
1964年の開催のときは高度成長の真っ只中で、その「道筋」があったといえるのではないかとおもいます。今回はあるのか。
まかり間違っても、具体的経済復興政策が固まらないから、「なんだからわからないが気持ちだけたかめればなんとかなるだろう」といういい加減な気持ちの誘致賛成の政治家がいないことをあらためて期待します。
そもそも、順番が逆かもしれない。オリンピックで経済復興をはじめるのではなく、はじまった経済復興に弾みをつけるのが本来では? 震災復興もおなじ。
そして、ここは我が家の事情。
年齢的にいきていることが微妙なところの母。
東京にいくのが楽しみで、かなり体力的に無理してでかけ、それに私もつきそいます。
ただ、東京駅は、長い長い工事のおかげで「仮設」だからと、不便なままの期間が4−5年ありました(完成しても全然便利になったと思えないのが問題ですが)。これから7年間、いろいろな「仮設」や「工事中」増えるとおもいます。でも、その7年の間も、ぎりぎりで東京を利用している人の楽しみまでは奪わないで欲しい。
さらに、東京だけの復興ではなく、日本全体を見渡してほしい。64年のオリンピックも、5年の準備期間で東京は様変わり。でも、その分だけ地方の開発が遅れてはいなかっただろうか、というのは、その後うまれた世代として感じます。そういえば、オリンピック施設は、東京オリンピックなのだから東京都がだすのだろうか…。国がだすのだとすると、そこに予算をあてて、地方の整備が遅れることは絶対にあって欲しくないとおもいます。
2度目なのだから、こういう反省はきちんと活かしてやって欲しいとおもいます。
こんな日だからあえて覚めた書き込みを記録しておきます。
最後にねんのため。へそまがりの表現なので、正面から歓迎していませんが、決定は歓迎だし、喜べることだと思っていることだけは、最後に補足します。
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