2014年 5月 11日 (日)
NHKが認知症に真剣か? 期待をこめてのコメント
社会の支えが不十分と感じるのが78%。
その背景は、認知症を公言しづらいこと。
が、それは家族が悪いわけではない。認知症をかくさなければ、公言したくないとおもわせる雰囲気があることが問題だ。
アルツハイマーでいえば、日本人の半数以上がもっていてるタウ蛋白(医学的には不正確かもしれませんが、ようするに、それを生じさせる要因をもっているというレベルで)。ということは、半分以上の人が明日は我が身といえるのになぜ受け入れられないのか。
ここではとくに中途半端といわざるをえない介護保険。介護保険しか守る制度はない。他方、介護保険は認知症に占領されているという批判もある。そもそも身体的なハンディから生活レベルが低下していることを想定しているとおもわれる介護保険の各基準に、身体的機能はさほど衰えないのに認知機能だけが衰える認知症患者をきちんとカバーできるはずがない。それを無理やり適用しているから無駄な保護も発生するし、空回りの保護も発生して、必要な人に必要な支援ができない。
ウチはシアワセです。私がサラリーマンよりは時間の自由がきくから。でも、正直なところ母がいることで仕事を制限したことは数多くあります。自営ですらそうせざるをえない。つとめていればそれはもっと制限される、ということになります。育児休暇が認められるならば介護休暇があってもいいだろう、とは、本気でおもうところです。(正確にはあります。育児休暇と同等に取得の在り方が注目されていいのでは?ということになります)
先日のブログで書いた、おわりがわからないことの不安とリスクと経済的損失。子育ては、多くの場合は18年または22年でおわると想定できるだけ、シアワセです。それがまったく予想できないし、心理的、心情的には、短期でおわって欲しくない、という気持ちと、短期で終わってほしいという気持ちが同居する複雑な状態がずっと続くのが介護です。
ある記事のコメントに、その記事の筆者が私にメールをくれたことがありました。私が子育て支援に対して否定的なことを書いていることに対して、そういう社会の風潮がいけない、という趣旨のことがふくまれていました。私は別にそれを否定していません。ただ、子どもを支援するということに限定せず、保護や支援や援助が必要な人全体に平等であって欲しいとおもうだけです。(それがかなっていないから、ときどき子育て支援に否定的なことを私は書いているだけです)。
極論、子どもを育てる人は、自分がうみたくてうんだのです。親を含め、介護が必要な家族は、望んでそのような状態になる人はいません。よく最近は暴言としていいますが、将来生活保護を受けたり、刑務所で三食昼寝付で生活するような人間になるかもしれない子どもに支援するよりも、少なくとも世界トップレベルの先進国をつくりあげた高齢者に御礼をする方が優先じゃないかなんて‥これは極論であることは認識していますが、そのくらい、真剣に子ども以外の社会弱者の支援は考えてほしいとおもいます。
いきおいあまって脱線しましたが、今回の認知症の問題に限定すれば、誰もがなりえること、あるいは自分はならなくても、相当高い確率で(また子育てを比較にしてしまいますが、昨今の既婚率とその夫婦が子どもを産む割合を考えれば、子育て世帯よりも多くなる)、自分が介護する側の課家族の一員になること。そしてその深刻さと重要性と負担の大きさを知るならば、無視はできないし、本人やその家族をあざ笑うことはできないはずです。
(同じことは、障がいをもつ方や、他の差別的扱いをうけている疾病の方やその家族についてもいえますが)まずは知ること、知らされること、知ろうとすること。
一人一人が認識すれば、認知症患者や家族にとってピントはずれな介護保険がかわるか、別の支援システムもできるだろうし。上からつくった制度にあてはめるからずれるわけで、まずは、国民一人一人がきちんと認識して、真剣に考えることを期待したいことろです。
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