ちょっと生意気な意見
旧日記の、
http://www.ofnon.com/nicky/pri/nicky.cgi?DT=20070816A#20070816A 。
今日は、群馬県第34回お母さんコーラス大会のお手伝いにいってきました。お手伝いは何度目でしょう。いずれにしても、いやいや? いや、楽しく、参加団体の演奏を聞くことができる貴重な機会でもあるので、楽しみでもあります。
今日1日で、感じたのが、上記の旧日記の2007/08/16/(Thu)の記事のシューマンの言葉でした。
タイトルの、ちょっと生意気な意見を、というのは、歌関係の日記は、自省、反省が中心で今まで書いてきたのですが、ちょっと提言という意味で。少し生意気でしょう??
それは、なんで無理して難しい歌を歌うの?? ということです。
だから、当然に「難しい歌を平凡に演奏するよりも、やさしい曲を上等に演奏する方が、より音楽的である」というシューマンの言葉につながります。
それと、アマチュアとは愛好家です。好きなんです。好きな人の集まりがアマチュア団体です。好きならば、好きなものに努力をすることは惜しまないはずです。
今日は45団体が参加しました。うち、…私がまともに聞くことができたのが23団体。23団体の中と、まともではないけれどスピーカーを通して聞いていた22団体の8割までで感じるのは、無理な音域の歌、あるいは難しい歌を無理して歌っている、という感想です。
まぁ、私も人のことはいえません。だから、ますます生意気な意見なのですが。
ただ、音でいえば、E程度。Fは完璧に、もう、苦しそうな団体が大半です。だったら、EやFが出てこない歌を素直に選曲すればいいわけです。
陰ながら…「お母さんコーラス」とは嘘で、「おばあさんコーラス」なんて批判もあるのは、隠しきれない事実。そう、そのくらいの高齢者であれば、リズミカルな歌に乗り切れないのも、あるいは変拍子や三連符、四連符…が多様されているような歌は難しいのはいうまでもありません(流行りの木下牧子先生は三連符を多用しますが、これなど典型)。Cdurの和音がまともにあわないのに、現代音楽の不協和音がまともに出せるはずがありません。
そして、歌詞を理解して歌っているのだろうか…という疑問。上記のとおりおばあさんコーラスと揶揄されても、自信をもって反論できるはずのことは、人生経験という歌心があること…のはず。でも、その片鱗すら感じられない。表面的に音をおっかけているだけ、という印象の団体がほとんどでした。
いや、これは私も経験上、合唱活動は団体活動です。だから、団員一人一人は責められない。選曲をした役員、あるいは指導者の問題です。
もっと、難しい音楽ではなくて、簡単といわれる音楽を丁寧に解釈して歌ってみませんか??
正式なタイトルはしりませんが、ミレド、ミレド、ドドレレミレドの歌…幼稚園のときは「大好きな大好きなおいしい葡萄のパン食べよう」で教わりましたが。たとえば、この歌を、あなたは自信をもって上等に歌うことができますか? と問いかけたら、よほど自信過剰の方か、本当に上手な方のいずれかしか、「はい」とは答えられないと思います。そう、簡単な楽譜ずらの歌でも、上等に、すばらしく、感動をあたえるように歌うのは難しいはずです。
ならば、やさしいといわれる歌でも、上等に歌う努力は少しも無駄なことではなく、かけがえのないものではないでしょうか。
FやEを使っていない合唱曲はいくらでもあります。それがやさしいから歌っても意味がない? はずはないでしょう。
選曲する役員でも指導者でも、FやFis、Aが出てくるような歌ならば(いや、発声練習では、どの団体のソプラノもキレイに出していると思います。音形や、本番の雰囲気で、キレイに出ていないだけでしょう、今日は)、それを本番で美しく響かせる指導力がある、と自信をもっているときだけにしましょうよ…。
団員だって、上記のとおりアマチュアです。愛好家です。ちょっと高音に難あり…と、自分で感じたならば、それ相応の努力しましょうよ…。
(以上、あまりにソプラノがぶらさがって、正直言って気持ち悪い音の団体が多かったので例にしましたが、メゾやアルトも、それぞれ類似のものはあります。ソプラノだけが悪いわけではありません)。
と、いう具合に、8割(って、30団体以上ということになりますが、大げさではありません)の団体は、この片鱗すら感じられない。
関東大会は6団体と15団体が次点として候補になりました。
この21団体にいえることは、上記の点は一応クリアしようとしている努力がみられることと、これらが仮にできていなくても、身の丈でやれることはきちんとこなしている団体だったと思います。
たとえば、歌や作曲家と真摯に向かい合っている姿勢が少しみえたケース、音は不正確でもアインザッツがしっかりしている(これは、前橋の秋谷先生がよくおっしゃっている言葉)とか、「コンセンサスがある」(は、池辺晋一郎氏の表現ですが)と感じられる演奏とか。鶏と卵の関係で、そういう努力をしていると、自然と、上記の努力もしているもののように思います。
空き時間に、『合唱表現』の松下耕先生の論評を読んでいました。それによると、世界は競い合うことはもはやトレンドではない、ということでした。音楽って、もともとそういうものだと思います。ただし、やるべきことをきちんとした演奏であれば。(「もともと」であって、コンクールという特殊な場面になれば、「もともと」からはずれて、特定の価値観に特化しているか否かで評価することも否定はしません)。
お母さんコーラスは、一応関東大会への推薦を決めるという意味で、コンクール的な要素はありますが、今日のプログラム巻頭に書かれていた浅井先生の言葉とおり、総合芸術として、個性が発揮されることも期待されている一日です。このように競い合うのではなくても、アマチュア=愛好家として、やるべき努力とやるべき準備はして、あるべき姿勢で望んで出場することは必要なのではないか、と、一日を通じて思いました。
でも…何年かお手伝いさせていただいて、数年前とガラリとかわった団体もあります。こういうところは、もちろん今日の審査員の先生はわからないことではありますが、変化に賞を出してあげたい感じです。もともと90点の人が100点をとるのも難しいですが、40点だった人が80点になれば、90点のままの人よりも尊いと思うからです。(いや、もっといえば、50点のままでもいい。変化があるということは、試行錯誤をしているわけですから、同じ50点でも、内容の違う50点ならば)。そういう団体がずいぶんみられた(聞かれた)のは、これからもこの大会をお手伝いすることになると思いますが、そのときの楽しみでもあります。
ちょっとどころか、すごく生意気な感想ですが、ちょっと背伸びは必要だと思います。でも、背伸びしすぎて、かろうじて技術的においついても心理面が追いつかないような演奏をするならば、余裕をもって技術面はカバーして、その先は、歌の表現にもっと力をそそぐような。そんなものを、私の価値観からは期待します。
と、同時に、私が今、所属の合唱団で歌っている歌は、私にとっては相当な背伸びが必要です。技術的にカバーできない部分は他の団員に補っていただくとして(よい意味の甘え、と信じたい)、一曲一曲に丁寧に向かい合っていきいたとあらためて思うのでした。
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