2009年 5月 16日 (土)
昔からわからない(反対の)量刑の基準
法学部出身としては、わからないなら勉強しろ、といわれそうですが…わからないというよりも、現在の実務の慣行、いや、たしか最高裁判所の判決の傍論では語られていたことがあったと思いますから、判例にどうしてもなっとくできないこと、というべきでしょうか。
量刑の判断で、「社会にあたえた影響」の大小、というのは、なぜ考慮されるのだろう…と、以前からどうしてもわかりません(=わからない=私見というか、私の価値観とあわない、という意味)。
刑罰の根拠とか、法哲学レベルの話になると、犯罪の何にたいして罰則を適用するのか。やった行為そのものが悪いのか、結果が悪いのか。私はどちらかというと(これは、両極の議論ですから、いずれかに100パーセントはありえないというのは前提)、行為そのものの「悪さ」にたいして、という価値観があります。
たとえば…極論ですが、社会で大問題がおきて、マスコミがさわいでいるときに事件を起こすのと、正直、ワイドショーネタがないときにおこした同じ事件。現在のように、細かい重箱のスミまで逃さないような報道体制では、後者の方が社会の関心は高くなります。そして、それをもって社会にあたえた影響、というのだとすると、あまりにも当該行為をした人にとって(被告人)、運不運が大きくないかな、というのは、学生時代から疑問でした。
それ以前に、社会に影響って、同じことを都市部でやるのと田舎でやるのとでは、おそらく違ってくるでしょう。たまたま類似の事件がおきたあとに、それよりはるか以前に同じような犯罪行為をしていたところ、それがたまたま見つかった、というような場合、類似の犯罪として注目されることは多いだろうし、そういう報道にさらされれば、問題となっているときにまた同じコトを起こすなんて、ますます悪いやつだ、という評価になることでしょう。この他…社会にあたえた影響って、あまりにもそのタイミングや環境に左右されるのではないか、という疑問がありました。
学生時代には、この社会にあたえた影響が、時代や時期、タイミングなどにどのくらい左右されているのか、ということを統計的に調査できないか、などと思ったこともあります。社会にあたえた影響が大きいという言葉を判決でつかっていても、それがこれらに影響を受けていなければ私の価値観からは賛同できるからです。が、勉強不足、不真面目な私はそんな統計的な調査はしないままでした。
これともう一つわからないのが、職業による量刑の相違。職業が、職務上の責任を負うことに関しての犯罪ならば、量刑が重くなるのは当然だとは思います。しかし、一般に社会的信用がある立場なのに犯罪を犯したから、というような意味の職業による量刑の違いもどうもあるようです。やや極論ですが、学校の先生が児童猥褻をしても、勤務時間以外ならば別に普通の人と同じでいいじゃない? というのが、私のスタンスです。ましてや、有名人だから社会の模範となるべきなのにおよそ犯罪を犯したことがいっそう悪い、というようなものは、どうしても私の価値観からは納得できません。
これ、逆にみると、職業差別につながります。犯罪を侵しても当然とまではいわないものの、侵しても量刑が重くならない職業は、社会一般に軽視されている、ということにならないでしょうか…。
こんなことを、先月から今月の事件や判決でいくつか思い出していました。草薙さんの公然猥褻、小室哲也氏の執行猶予つき判決。昨日の福岡市職員の飲酒運転についてもちょっとそれに近いものを感じます。
裁判員制度がはじまります。
裁判員というのは、私のような価値観をもっていても、量刑相場や量刑の考え方がこうなっている(職業の「偉さ」や社会にあたえた影響は考慮することになっている)ということは、遵守すべきなのか、それとも、国民の司法参加の目的の一つは、国民の声を届かせることにもあるとすれば、私のような価値観をもっている国民として、私の意見で考えるべきなのか。
確率的には、生涯に一度くらいは裁判員になるのでしょうか…。どのくらいこの制度が活用されるかにもよるのでしょうが。
司法参加は重要なことの一つだと思うので、なんらかの制度導入は賛成ですが、エコポイントとおなじく、十分に細かいことまで検討されず、見切り発進のような気がするのも、現在の裁判員制度です。
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