望まない世の中になっていく
子供の頃に、こういう世の中になって欲しくないな、とふと、思ったこと。結構たくさんありました。でも、成長とともにそれは忘れていってしまうのですが。
そんな中で、いくつか覚えている中のもの。
これは覚えている理由は簡単で、子供の頃、といっても、大分大人になってから。高校生くらいでしょうか。
パソコン嫌いだったのにもかかわらず、必要性(高校のときに必要性を感じたのは、下手な字の練習をするよりも、最近流行りのワープロを、と思ったからなのですが)を感じて、ワープロ購入を検討していました。その中で、まだまだ高価ながらパソコン+ワープロソフトも視野に入れていたので、パソコン入門関係の本を読んでいました。
その中に、パソコンのマニュアルはわかりづらい。読んでも意味がわからない、ということが書かれており、その理由として、訴訟社会のアメリカのマニュアルを元に作られているからで、「○○してはいけない」という、訴訟対策の観点から作られているからだ、ということも説明されていました。今にして思うと、このパソコン入門本、凄いことまで書いていたものです。
たしかに、その後購入したパソコンのマニュアルは、どう動かすかよりも、何をするとどういう危険があります、ということの羅列です。なるほどわかりづらいし、そういう風潮になれていない日本人には、読解力うんぬん以前に、理解には大きなハードルとなってきます。まして、英語を中途半端に翻訳したような単語ばかりのパソコンですから…。
そのときに思った、「こんな世の中になって欲しくない」は、アメリカのような訴訟社会になって欲しくないし、それを前提とした「○○するな」ばかりを意識する世の中になって欲しくない…ということでした。
実は、こう思ったことが、法学部にいったのはそれが間接的な理由でもあり、今の仕事を選んだのも、間接的な理由になっているのですけさど。
でも、どうも日本は完全にそうなってしまったようです。
消費者保護といいつつ、あれは、読解力のない消費者にとやかくいわせないための対策の羅列、という感じの法律です。だから、とりあえず異議を申し立てませんみたいな誓約書や同意書ばかりかかされて、保険を購入したり、手術したり…。もちろん、あまりにも極端なのは裁判などではひっくりかえっているようですが、そもそも裁判を避ける現時点の日本では、あの、脅しのような誓約書、同意書は、相当な萎縮の効果はあるのではないかと思います。
でも、保険とか、手術とか…そういう場面だけかな、という認識でいましたが(あと、個人事業主等をだますリース契約形式の、委託契約なども最近はこれに該当するかもしれません。リースだから解約できませんよ、みたいな感じのものもずいぶんありますから)、ごく身近なところでこれを痛切に感じて、いやな想いをしました。
それは、クリーニング店。
最近近くにできたクリーニング店。先日4度目の利用をしました。
過去3度は、ついで…みたいなものばかりだったので気にならなかったのですが、過去3度、それぞれ7−10点くらいだしたのですが、必ず1−2点の洗濯物について「すこしほつれているので、穴が大きくなる可能性がありますが、いかがしますか?」という問いかけをされました。大きくなって着られなくなったらそれでもいいようなものばかりだったので、気にせず「お願いします」と言ってきたのですが…。
今回は、母の、ちょっとよいものが含まれていました。また、ワイシャツの100円サービスをしていたので、4年前の引っ越しに埋もれていて、最近見つかったワイシャツも4点出してみました。4年も洗濯屋に出していなかったので(自宅では洗っていましたが)、襟などはちょっと変色しています。
受付のときに、このワイシャツについては、引っ越しに紛れて4年も埋もれていたもので、その汚れであることも、雑談(受付って、結構時間かかりますので、その待ち時間に)の中で話ました。すると、受付の方は、「このくらいは落ちると思いますよ」とのこと。そして、他6点をだしましたが、がらがわからづらいとか、素材がなんだかわからない…という問題はありましたが、受け付けてくれました。そう、4度目にしてはじめて上記の「ほつれがありますが…」の注意がなかったわけです。
ところが、それから2日。まず、お昼ころに「お預かりしたワイシャツは落ちなかったのですが、染み抜きしますか」との電話。染み抜きはいくらか訪ねたら、「400〜1000円」という回答です。
ワイシャツ…100円でだしました。4枚も。そして、400円から1000円って、1600〜4000円の幅があることになります。この料金提示では怖くてお願いできません。受付の方が「落ちると思いますよ」と言っていたのに…と、いうのはかろうじてやめて、保留にしておいてほしいことをお願いし、その前に、なぜそんなに価格見込みに幅があるのかを問い合わせてみました。すると、職人さんにだすので、職人さんからの請求がきてみないとわからない、という説明です。そうだとしても、一度すでに洗濯しているものです。そして、上記のとおりどういう汚れかも話をしています。それだけの情報があって、400〜1000円というのは、ひどすぎるな、というのが、このときの感想。
それから半日がたって、その日の夜。ついに電話で「ほつれがあるので大きくなる可能性がありますが、いかがしますか?」という連絡がありました。…やはり今回もあったか。
でも、正直、今回は自分のものではないし、そこそこ高価らしく、かつ、母のお気に入りのベストです。そう思うと、判断のしようがありません。たとえば、数ミリのほつれが1センチくらいになるというのと、数ミリのほつれが10センチになるのでは、後者ならば頼まないでやめるのは当然でしょう。また、「可能性」って…。あなた方、お金をいただいてやっているのだから、プロでしょう? 可能性を最小限度にとどめるのがプロの仕事だと思うのですが…。可能性の大きさも提示がありません。100枚やると1枚くらいは…だって可能性があるわけですし、100枚やって99枚が、ということであれば、やはり依頼をお断りすることになるでしょう。が、その頻度も提示されていない。ただ一言「可能性」で、どうやって判断するのでしょう。
「正直判断できません。あなた方プロなんですから、もう少し具体的に提示して、せめて判断を求めたらどうですか」というようなことを返したところ「お客様に判断していただかないと、なにかあったときに損害賠償することはできませんから」という一言。
…そう、わかってはいましたが、冒頭のパソコンのマニュアルと同じ発想なんですね。
それに、この説明は間違っています。こちらが同意したといっても、一切損害賠償ができないわけではありません。ただ、まさにクリーニングなど小さな案件なので、いちいち裁判はしない→そうすると、「あなたは注文のときにほつれが大きくなる可能性を理解して同意した」と抗弁して、損害賠償をお断りするのでしょうね…。
背景に、今でいうモンスター消費者がいたことは承知しています。クリーニングの業界は一時期これで本当に困っていたようですから。でも、お客に対して、このような疑いと、予防線を引くばかりの対応って、果たしてお互いにシアワセなのでしょうか。
これが進んでいくと、ファミレスのメニューには「こどもはやけどする可能性があります」「商品に含まれている餅という食材は、喉に詰まらせて亡くなるケースが、年間に100件程度発生しています」「単品では安全ですが、お客様のご注文による食べあわせ、お客様の体質、体調により、健康被害を及ぼす可能性があります」と、何十ページも記載される時代がきてしまうのでしょうか。
学生時代、西洋の文化は定住ではない文化から、一期一会。故に、やることとやらないことを明確にして、それ以外はお互いに干渉しない、という発想で文化ができあがり、他方、日本はお互いに多少の干渉や多少の迷惑をあたえることがあっても、核心部分まで侵害してこなければ、お互いに譲り合う、許し合う文化が育ったのだ、という理解でいました。私個人は後者の方が好みなのですが、もはや、そんなことはいっていられない時代になったと考えるしかないようです。
今日、その洗濯物を引き取ってきました。ワイシャツ…だす前と一つもかわっていません。「落ちると思いますよ」といったならば、請負契約だろうが委任契約だろうが、仕事の達成がないのだから、自主的に100円返しなさいよ! と、内心で思いつつ。そう思っていたら、「染み抜きなさいますか?」とまた聞かれて…。
母のベストのほつれは気づいていなかったのですが、返却されたものをみて、なるほどほつれはありました。このくらい、機械で一括でやらずに別にしたり、生地をあてて洗えば、拡大は防げるはずです。大きくなってしまう程度と可能性が説明できないことを譲ったとしても「料金加算になりますが、安全に(いや、ほつれが大きくなる可能性を最大限小さくできるように)個別に洗うこともできます」くらいは、プロなんだからいってくれてもいいのでは?? そうか。彼らはプロではなく、機械にぶち込むだけの人間の姿をした機械の部品なんですね。
だから機械ばかりの世の中も、望まない世の中の一つでした。
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