2009年 8月 6日 (木)
武満先生・谷川先生が泣く…
原爆の日と終戦記念日がある8月は、合唱をはじめてからは毎年、『原爆小景』と「死んだ男の残したものは」を、なんとなく聞いてしまいます。
楽しみにしている東京混声合唱団の8月のまつりは、明日ですが、今年はどうしてもいけません。この2曲がほぼ間違いなくきけるこのまつりは、それだけでも楽しみなのですが…。
今朝のニュースでは、原爆投下が正しかったか、というアメリカのアンケートが紹介されていました。昨年もちょっとどこかでふれた覚えがありますが、いまだに過半数が正しかったと考えているそうです。
ただ、今日のアンケートへのコメントでちょっと気になったのが、若い世代ほど、正しかったと考える割合が下がっていくということ。高齢のアメリカ人にとっては、原爆投下で戦争を終わらせることができ、より多数の日本人が死なないですんだことに正当性を結び付けるようですが、若いアメリカ人には、先の戦争のそのようなことよりも、核そのものの善悪が正面から検討されている結果なのかな、と思います。
でも、「死んだ男」は、反戦ソングでありながら、希望に満ちた終わり方をしている歌です。
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
(武満徹曲・谷川俊太郎詩「死んだ男の残したものは」より)
戦争に、核兵器に、現在のような状態で、輝く今日が残っているのか。
ふと、この歌は、もっと将来の歌のような気がしてきています。
われわれは死んだ歴史のあとの輝かしい今日という時代にいるのではなく、まだ、死にゆく歴史をつくっている時代にわれわれはいるのかな、という意味で…。
でも、将来の子孫に、死んだ男、女、子ども、兵士、彼らと、歌ってもらえるほどのことはできていないな、と思うと、武満先生と谷川先生は嘆いているのではないか…と、8月6日に思うのでした。
でも、先人たちも「彼ら」で、その彼らが残したものとして、「生きてるわたし」も「生きてるあなた」も今いることはかわりありません。
広島のデルタに本当に本当の緑がくることはあるのか(cf.『原爆小景』第4曲)。自信をもってある、とは、今はいうことができないですね…。
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