2009年 8月 8日 (土)
8月6日の日記のあとで
8月6日の日記のあとで、「水ヲ下サイ」を検索し(ググッ)てみたら、ニコニコ動画が一つヒットしました。第23回合唱コンクールの録音らしいのですが、演奏は、会津農林高等学校。
ニコニコ動画って、あまりみないのですが、これはヒットしたのだから、と、試しに再生してみました。
だいたい、ニコ動のコメントって、アンチとか批判とかがいくつか含まれているもの、という印象なのですが、この動画のコメントは、一つもそのようなものがなく、演奏に敬服、感服という感じのものばかりでした。
実際…。
第23回ということは、かなり前で、まだこの曲が世に出てからそれほどたっていない時期だと思います。その頃の高校生の歌声。高校生ならではの表現力もあり、高校生ならではの声の幼さもところどころにあり…。でも、それもきっと演奏の狙いに入っていたのだと思います。
重ねて検索してみると、この演奏は、コンクールマニアの間では、かなり伝説的な演奏だったようです。
コンクールの演奏で、会場から泣き声が聞こえてくる録音なんて、たしかに滅多にあるものではないと思います。
東京混声合唱団のCDとの比較のようなコメントもありましたが、たしかに東京混声のそれは綺麗すぎ、淡々と、整然と歌っているように感じられます。私は個人的な感想として、その淡々さ、整然さが、逆に非日常の異常事態=原爆投下の状況を引き出していると思うので、これはこれですばらしいと思いますが、その対極として、この会津農林の演奏は十分に説得力があると思います。
どうやら金賞だったようですが、こういうのは、もはや賞は関係ないですね…。
たぶん会場にいたら、私も平然と聞いてはいられない演奏だったと思います。それが、録音から感じられるということは、それ自体凄いことです。
そんな後、さらに検索してみると、なんと、ニコ動で、コンピュータに歌わせた「水ヲ下サイ」が…。人間の声、歌もある程度鳴らすことができることは知ってはいましたが、よりによって合唱曲の、さらにこの曲をこのようなデータにしているとは…。
当然(いや、データ作成者が綿密にプログラムすれば、今の音声再生ソフトの性能ならば、感情表現らしきこともできるのでしょうが)、機械的な声です。純正調か平均律か、なんて議論もあるかもしれませんが、とりあえずは機械ですから、おそらくは相当正確に歌っているのはたしかだと思います。
ただ、上記東京混声の演奏に感じることをさらに突き進んでいったような、淡々というか、機械的なそれが、かえって悲惨な状況を、空想力でつくりださせているような。そんな演奏?(データ?)でした。実際ニコ動のコメントにも、こういう曲はかえってこの方がいいかな、みたいなコメントも…。
音楽としてできあがった時点で、音楽としての「水ヲ下サイ」には、メッセンジャーとしての役割を担ってほしくないという側面も私はあります。極論、演奏者、聴衆の解釈や感性で、核兵器賛同とされてもよいくらいの奥行きと自由さは、芸術になった時点であってほしいとさえ思います。
が…。6日に書いたような現状では、高校生のような、東京混声のような、コンピュータのような…この曲の演奏で、自由な解釈ができ、自由な演奏ができ、自由になのに核兵器の悲惨さを感じ取れる方向性は、ささやかに歓迎したいと思います。
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