2009年 8月 17日 (月)
会話の不足
最近いろいろなものに会話、コミュニケーション不足を感じます。
ただ、不足の原因が、
コミュニケーションがあれば解決していたことにすら気づいていない
コミュニケーションをとる手段を知らない又は苦手だから避けた
ということにもあるように感じるので、むずかしいところです。
まぁ、そういう私も、昨年はご近所の奥様をどなりました。罵声をあびせて、客観的にみれば、脅しているとしかみえなかったと思います。
http://www.ofnon.com/blogr/blog.cgi?n=32&category=free
これは後者の例で、普段から積もり積もっていたご近所の行動への不満が、そのまま爆発してしまったわけです。(ただ、これ、人道的にも法律的にも、そのご近所がそれらを侵しているわけでして…)。
仕事でうける相談も、それは直接当事者が声をかけあえば済むことでしょうに…と、内心思うことがずいぶんあります。もちろん、上記の2つの理由があるので、相談者本人はそんなことは思っていないのだろうと思いますけれど。
ただ、「事前に一言いってくれていればなんでもなかったのに」は、よくあるケースで、また、事前の一言があればなんでもなかっただろうと推測できるケースもよくあります。
そもそも、電車の中などの喫煙だって、事前に喫煙する方が、近くの方に声をかけて承諾を得るような、些細なマナーが守られていれば、こんなふうにはならなかったように思います。携帯電話だって同じだと思いますね…。
そういう会話不足が、世の中を不便にしてしまっているような気がします。
ただし、事前にいうのは、
http://www.ofnon.com/blogr/blog.cgi?n=63&category=free
にあるような事前告知は、かえってマイナスです。予防線張って、相手をうたがってかかるような事前告知は、できればない方向に向かってほしいと思います。
今日、ニュースで、飲食店への持ち込みが話題になっていました。店も過剰反応を示したように思うし、お客の方も、持ち込みするならば、事前に一言断っていれば、店もまったくダメとはいわなかった事例の典型のように感じます。ただ、お客の方は、コミュニケーションが苦手というよりも、持ち込みが迷惑をかける恐れもあることで、飲食店は一般には歓迎しないものだ、ということに気づいていなかったのかもしれません(話題になっていたのは、著名な作家ですから、そのくらいの常識はあったとは思うのですが)。
コミュニケーションが苦手というのは練習しかないと思いますが、それが必要だということに気づかないということは、一言、自分が行動する前に、相手や周り、関係者にその行動がどういうようにとらえられるのかを想像する力があればすむことです。
それは面倒で、うっとおしい、というのかもしれませんが、法律でガチガチになっていたり、規則規則で余裕のない世の中よりは、私はそういう世の中が続いてほしいと思うのが、今日の日記の結論なのでした。
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