2010年 6月 12日 (土)
音楽はやはり3要素だ
南こうせつの特集のTV。
神田川の朗読とメロディで、音の波形が似ている、という分析をしていましたが、作曲って基本的にそういうものだと私は思います。
最近の歌謡曲が好きになれないのは、それが一番の理由だと、私は私自身を分析しています。
もちろん、作曲にはいろんな方式や方法があって、そうではない方式や技術はあるわけですが、愛唱歌といわれる分野に近い歌は、この基本的な技術を最大限駆使したものが、少なくとも私はいいなー、と思うのです。
合唱という音楽の一分野に踏み込んで? 10年少々になりますが、いろいろな合唱曲を歌っていてどうも違和感があるのは、実はこれ。
合唱曲は、ハーモニーを優先するあまりに、メロディが犠牲になっている部分が多い気がしてならない‥と、ど素人がいうべき言葉ではないかもしれませんが。
たしかに、現代音楽と区分される(されてしまう、するように努力している)曲は、旋律だけを取り出して云々を語るものではない、とは、思います。しかし、歌い継がれる歌は、やはり、旋律だけでも綺麗。和声進行だけでも感動的だし、リズムも自然に親しめるものではないだろうか‥。音楽の3要素は、それを壊すのが現代音楽かもしれませんが、やはりそれでも、一つ一つを新しい枠の中(ここがポイント)で活かしているような気がします。
合唱の「が」‥もわからない中で、初めてきいた、三善晃先生の作品たち。背中がむずむずしてくるような違和感ばかりでした。それが正直な感想。でも、ちょっと下がってこれを聞いてみると、三善先生の旋律は、上記の言葉のイントネーション、リズム‥というものを実は忠実に(朗読しているのではなく)音楽にしているだけ? という気がしてきます。こういう感想は今もかわりません。歌っていては素人合唱団には厳しい半音階での変化も、冷静に(楽譜を)見たり聞いたり歌ってみると、すごく保守的な印象すら感じます。○拍子というリズムがきちんとあって、その強拍ではベーシックな和音ばかり。ただ、三善先生がすごいのは、それだけではないからなのですけれど‥。
いたずらに変拍子を使ったり、十二音階で旋律ができたり、(最近の合唱コンクールでしばしばとりあげられる不協和音のサンプルの羅列のようなものを代表とした)「現代」という言葉で片づけられて受け入れられ、それをわからないということすら許されないようなハーモニーではなく‥。
ふと、そんなことを感じました。
ところで、青島先生のこの番組後半での講義は実に面白い!
青島先生のもはや初期といってよい合唱作品の名曲・トマトの夕焼けスープ。現在通常のルートでは楽譜が入手できないのが残念。そうそう、この曲も、サラっと聞くと違和感があるメロディなんですが、歌詞朗読とかわらない表現なんですね‥。
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