似た意見の記事への批判コメントに期待??
SmartNewsというスマホアプリで紹介されるコラムはときどきおもしろいものがあります。
たしかこのアプリ、性別の登録はないと思いますが、なぜか私のところには、女性が男性にモテるテクニックとか、男性の○○の見分け方、みたいな記事が紹介されますが、これは読み物として(真剣には考えることはありませんが)はすごくおもしろい。よく、このような記事のライターさんは、わずかな情報とかたよっているとすぐにわかる統計から、これだけの文章を書けるな、と関心もしたり。
どれもおもしろいのですが、「理系のための恋愛論」などは、私にとっては、女性でもなく理系でもないので、正反対「とされている視点」のコラムとしてなかなかいつも笑わせていただいております(あ、ちなみに、直前の「」は、私は理系と文系を分ける考え方は、右脳的・左脳的とか、血液型性格診断と同じくらい意味がないとおもっていますので、そこからです)。
そんな中、今日はこの記事が紹介されました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38439?page=3
自分が子どもなし、要介護の親同居だから、その体験だけで、感想と希望として、子育て支援よりも、介護支援に力をいれてほしい(いきおいあまって、将来「悪」になって生活保護を使うだけ、犯罪をおかして社会に経済損失をあたえた上に、一等地に栄養管理の行き届いた三食昼寝つき=刑務所のこと=で生活するような人になるかもしれない未確定の子どもの将来よりも、日本を築いてきた実績のある老人に手厚く、なんてことまでときどき発言してしまいますが)とおもっている私からすると、ごもっとも、というのが前半。とくに子育ては子どもが18なり22才までと一往考えられる(大学院にいったり、延々と浪人したりする可能性はゼロではないですが)のに対して、期限がないのが介護だ、というのは、実際に実感するところです。私自身、現在そういう状態だし、親が長生きしてついに貯金を使い果たしたら、そのときは生活保護でもなんでもいいや、くらいのつもりですし。
続けて中高年の独身の話題は‥それって私のこと? 個人個人で解決できる問題とそうでもない問題の両方があり、(ちょっと記事は中間をとばしますが)前者はこの記事でいう「自己責任論」でふたをして、後者には気づかないふりというのは、たしかに私も思います。
そして、中高年独身問題は、現在の若手の低所得が、将来はますます滑車をかける。それは、比較的すなおな推測だと私も思いますし。願わくは2020年頃に、2020年のビックイベントのために対外的な評価を意識するばかりに、「華やかにする政策と蓋をする政策」が実行されて、ますます格差が(本人の努力と関係なく)ひろがることがないように、という感じです。
続けてGDPをあげることのぜひ‥。
GDPをあげて豊な日本になってもこれらは解決しない。そのとおりだといつも思うのですが、なかなかこれは同じ意見をいってくださる方がいない。たしかに今の10倍くらいになれば解決するかもしれませんが、10倍になることができる可能性と、かりになることができるとしても、10倍になるまでの時間と、その間の日本の精神的不幸の進み具合の競争を考えると、どう考えても勝ち=解決にはならないようになんとなくおもっています。
そういえば、関連して思い出したのが「プア充」。これには批判も反対も多いけれど、私は実は賛成というか、共感をもてる考えだったりします。
本当のプアはもっと貧困で、まだマシ、という批判もありますが、それはまったくそのとおり。
他の批判の代表として、たしかにプア充提唱者?の島田氏の分析は甘いと思われるところがあり、そこまでプア路線で(いくら考え方の問題だとしても)バラ色ではないだろうという批判にも賛成できます。ただ、年収300万とか200万では、今をときめく売れっ子経済学者も森永氏の人気を不動にした一つであろう同氏の著書『年収300万時代を生き抜く経済学』と、生活テクニックや社会制度の活用においてはかわることもなく、200、300万でも生活はできる、という点は共通しています。森永氏のテクニックはなかなか分析も行き届いているな、と私は思うので、これとあわせると批判としてはどうなのかな、というのがその理由。
と、脱線しましたが、こんなことを思う背景として、この記事のいくつかの主張が骨組みになっているようなきがします。(3ページ目あたりの藻谷氏の発言がその象徴でしょうか)。
そして地方の疲弊の問題。群馬県はその筆頭かもしれませんが、もしそんなふうに群馬を馬鹿にして気持ちが落ち着くならば、どんどんつかってやってください、という気持ちです。だって、当の群馬県民はそれほど不幸せだとおもっていませんよ、おそらく(少なくとも私という群馬県民は)。
なにか特定のごく狭い価値観で、自分よりも象徴的に低いところにいる人を馬鹿にして気持ちが落ち着く(‥江戸時代の人為的に士農工商の下の身分を創設したような‥そんなかわいそうな方々)ならば、どうぞ私たち群馬県を馬鹿にしてくださいと、思いたくもなります。
実は東京だって北京とかわらない(ゴメンなさい、北京のことを詳しくしるわけではないのですが、ニュースやドキュメンタリーからみえる範囲、日本よりもはるかに栄えている表と、ほんとうに道1本も離れていないようなところで、荒廃した地域が同居している印象があります。その意味です)‥と、たしかに感じます。これが本当の豊かさか。
という感想は、私の本心からはずれていません。完全な作り話でここまでの感想は書けないですから、この日記がその証拠。
でもなにか違うよな、というのもどこかにもっているわけです。
でも、これらの考えを完全否定もできない。
この記事、そんな私のもやもやの一極をそのまま代弁していると思うところがあるので、この記事を論理的に論破する批判がコメントされていくのが楽しみです。
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