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2014年 5月 15日 (木)

演奏会に向けて雑感その(3)〜星めぐりの歌


今回の演奏会。
チラシを前団長が作成したのですが、律儀で真面目でうそがつけない(これ以上いうと、ご本人がみたときにくすぐったくなるのでやめますが)性格からか、なんとチラシにアンコール曲まで記載してしまいました。本当に、アンコールがかからなかったらどうするんでしょう。


そのアンコール曲の一つが「星めぐりの歌」。
私はNHKどころかテレビをほとんどみないので、「あまちゃん」(も、ついに一度もみたことがない。ヒロイン、どなたでしたっけ?のレベル)で歌われたことすらしらないのですが、さすがNHK。それでこの歌も注目されているとか。

小学生の4年のころでしょうか。宮沢賢治には少しはまりました。なので、この歌の詩は、賢治の作品の中でみた記憶がありました。音楽として聴いたのは、「銀が鉄道の夜」の映画の中で、挿入歌として歌われていたのが最初でしょうか。その後、東京混声合唱団の「八月のまつり」演奏会のお決まりのアンコール曲だということをしり、8月のまつりは過去に片手で足りないくらいいっていますので、そこで聴いてきた曲です。

作詞・作曲宮沢賢治。賢治が音楽には相当造形が深かったのは知られるところです。みずから楽団ももち(それがセロ弾きのゴーシュのきっかけになった? とかならなかったとか)、岩手のわりに音楽関係の書籍やレコードが売れると評判になったとかならなかったとか。
また、今回歌うのは林光編曲版ですが、林先生は、賢治の研究家としても超一流。林先生のエッセー集を以前に読んだことがありましたが、賢治の話は本当に奥深くまで研究されている印象でした。

賢治の近くの方が採譜はしていたらしいですが、口述伝承的につたわってきた「星めぐりの歌」。楽譜は何度か発売され、ネットで検索すると、フェルマータをなぜ削除したのか? という熱い議論を読むことができます。それだけこの歌が、賢治ファンの中で愛されてきた証拠といえるでしょう。

林先生は4拍子でこの曲をとっていますし、合唱編曲でない楽譜も4拍子。ただ、上記のネットの議論の中で、3拍子にとる、という解釈が紹介されていました。

そう、それをわざわざここで書いたのは、東京混声合唱団の演奏をはじめてきいたとき、この歌は3拍子の歌だと私は信じきってきいていました。
「あかい」をアウフトタクトでとると、以降は3拍子できっちりおさまる。しかも、日本語のイントネーションと強拍もだいたい一致してくる。作曲の賢治本人はどう思っていたのかは私が知った情報だけでは判断できませんが、いずれにしても、不思議なリズムと、不思議な調性のある美しい曲です。

今回はじめて練習にとりくみましたが、実は以前に、この歌を合唱団内部の余興で歌いたいとおもったことがありました。そのときは、ピアノがないという条件。一緒に歌おう、というメンバーにこの曲をいったんは紹介しました。が、実は、その後で取り下げました。よくよくきいたり楽譜をみたりしているうちに、この曲(林光編曲)は、ピアノが実は一番大事で、ピアノなしで歌うのは無理ではないか、とおもったからです。

今回もピアノが実にいろいろ語っているとかんじます。
実は、合唱団コールパークのピアノは、塩谷景子先生が担当してくださっています。塩谷先生は、私が知る範囲、群馬県で一番の伴奏演奏者であり、合唱団のピアニストであり、合唱指導者としても一流の域にある方だとおもいます(残念ながらピアニストとしてどうなのか、というのは、私は知るよしもありませんし、ピアノ演奏そのものをきいたことがないのでわかりません。が、少なくとも、合唱団のピアニストとしては、超一流だとおもいます)。なので、今回合唱団コールパークで「星めぐりの歌」を演る場合、ぜひ、お客さまにはピアノに注目していただきたいと思っています。

まさに、「ピアノが歌う」

過去に他の合唱団で、塩谷先生がピアニストだった際に、合唱祭の講評で「合唱団はピアニストのように歌うように」とご指導をいただいたことがありましたが、本当にそういうピアノです。

さて、星めぐりの歌の歌詞。上記のとおり、小学生のころに詩にはふれていましたが、そのころから疑問でした。星座のお話にしては、ちょっとおかしい。あの宮沢賢治がまちがっでいたはずもないし、なぜだろう‥と。

冒頭の「赤い目玉のさそり」は、赤、ということばから、さそり座のアンタレスをすなおにイメージします。でも、アンタレスはさそり座の真ん中。少なくとも目玉の位置にはありません。
「こぐまの額の上は空のめぐりの目当て」も、「目当て」というからには、そして、「大熊の足を北に5つ伸ばしたところ」から、北斗七星の杓の部分をのばしたところ‥そう、北極星でしょう。でも、北極星はこぐま座では尻尾の先です。
「アンドロメダの雲は魚の口の形」も少々疑問。実は全然別の解釈があるそうですが、私は、アンドロメダ星雲、現在でこそ、シンバルのような綺麗な形の図や写真をみることができますが、はるか以前は、いったんが分裂しているようなイメージで描かれていることがありました。なのでその分裂を「口の形」と表現しているのかな、とおもったことがありましたが、ここは定かではありません。

というあたりが、小学生のころには疑問でした。

賢治がどう思っていたのか、は、今もわかりません。
ですが、宮沢賢治という想像力豊かな方の詩ですから、ここは自由な発想に、一往星座をあてはめた、と考えるのがむしろ一番自然なのかもしれません。

小学生のころ、星座に興味をもって理科の先生にそんな話をしたとき、「星座も大事。でも、星をみて空想力をもって自分自身の新しい星座を考えるのもおもしろいかもしれないよ」というようなことをいわれたことがありました。今にしておもうと、なんとすごい発想の先生だったことか。

小熊の額か尻尾か。さそりの目玉か心臓か。そんなことはどうでもよく、もっと自由に星空をめぐるのが、賢治の表現した「星めぐり」ではないでしょうか。

ところで、以下はこのタイトルからはずれた戯言です。
今回のコールパークの演奏会。高田三郎作曲・高野喜久雄作詞の「雨」も歌います。その高田三郎と宮沢賢治といえば、「心象スケッチ」という無伴奏混声合唱曲があります。じつはこの組曲、大好きで、一度歌ってみたいとおもいつつ‥なかなか機会がない。ということはともかく、高田先生と宮沢賢治といえば、どうしても「風の又三郎」を思い出してしまう。又三郎を読んだことがあるかたはすぐわかるであろう‥又三郎は「高田三郎」という名前です。高田先生の略歴、系譜をみると、疎開されていた時期があり‥生前の生活ぶりをお聞きするかぎり、又三郎のような破天荒な部分があったらしい高田先生。それだけにもしやモデルだったのでは? と思ってしまいます。
まぁ、一往時期が違うということで、この仮説は否定されているようですが、宮沢賢治の音楽への思い入れと向き合い方、高田先生の文学への思い入れと向き合い方。偶然だとしても、共通項として、なにかを感じたり考えずにはいられないほどのものです。

グレゴリア聖歌の研究から作曲にとりくまれていたという高田先生。今回の演奏会は、モンテヴェルディのミサからはじまって、「雨」をとおして、最後に「星めぐり」。こじつけ、といえばそれまでですが、そこに音楽の時代の流れと、それぞれの時代の「想い」の連鎖をなんとなく意識するのでした。

20140906追記
田三郎と宮沢賢治の最大の違いは、作品の改訂にたいする姿勢かも。などとも思ったり。
宮沢賢治は出版後も手を入れて、未完成こそ完成という視点。その点田作品の改訂というのは知っている範囲でないかも。100版をこえる水のいのちでも、初版楽譜の人と問題なく歌えるとか。

T R A C K B A C K
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