難しい歌を平凡に演奏するよりも、やさしい曲を上等に演奏する方が、より音楽的である(シューマン)
と、いう言葉があります。
8月9日。仕事の調整をできるかぎりして、6年前からいっている、東京混声合唱団の「8月まつり」演奏会は、最終ステージは中山晋平特集でした。氏は、生誕120周年とのこと。
所属の合唱団で、今、源田俊一郎氏の編曲による唱歌メドレーをやっています。そのメドレーの1曲目も、中山晋平の「シャボン玉」。
8月まつりでも、しゃぼん玉は歌われました。最初の「しゃ」の声が聞こえた瞬間、言葉にならない感動がありました。感動だけならばイモーショナルなだけ。想像を絶する技量というか技術というか…テクニック面も感じるものがありました。
やさしい歌かどうか、ときかれれば、シャボン玉は、たぶんやさしい方でしょう。すばらしい林光先生の作品、編曲作品が8月まつりでは演奏されますが、なにより、この素朴な1曲に、そして、幼稚園の子供だって口ずさむこの1曲に、感動も東京混声合唱団のすごさも感じる演奏会でした。
その感動の影響か…。
仕事がら、「たまたま仕事があいたら」のノリで、突発的な家族旅行にでかけます。毎年お盆は比較的暇なので、お盆にはどこかにでかけようともくろんではいましたが、14、15日で、戸倉温泉にいくことにしました(13日夜に決定)。でも、ちょっと戸倉からは遠いのですが、どうしても、長野県中野市の中山晋平記念館にはいきたいと思って、強行軍でいってきました。
上記のメドレーには、中山晋平作品は「あの町この町」もあります。記念館で、この曲の初版(あるいは初版に近い楽譜)には、「はずむように」と記載されていることを初めてしりました。現在の源田先生の編曲はどちらかというとしんみりしたイメージですが、「中山晋平少年少女合唱団」の演奏は、八分音符の連続ではじまるこの曲は、附点八分+16分音符かのような歌い方で、まさに弾むように演奏されていました。
シャボン玉は、野口雨情の研究から、合田さんの解釈が、ある程度広まっているようです。でも、合田さんの『童謡の謎』は、私も2巻を読みましたが、みなさん、解釈を間違っている! と、声を大にしていいたい。合田さんご自身も、断定的な日本語を使わず、「○○と考えられないか」という言葉で掘り下げています。なのに、「合田説」が唯一の正しい解釈のようにあつかわれることが、このシャボン玉に限らず、よくみられます。 私は、中山晋平記念館にいく前も、いったあとも、シャボン玉という曲の「合田説」は、どうも納得できない。逆に否定できないから、一つの見解としてはなりたつとは思いますが、それだけが唯一の解釈か。歌い手、実演家がそれぞれのもっと自由な解釈で歌ってよい「余地」がある、ということを、あらためて実感しました。
かつて創立にも携わり、所属していたものの、事情から退団した、高崎コスモス合唱団が中心となって、11月4日の東京混声合唱団高崎公演のための、「合唱団COSMOS」に現在参加しています。ここでは、源田氏の代表的な編曲作品といって間違いない、「混声合唱のための唱歌メドレー故郷の四季」を歌います。そう、この曲は、高崎コスモス合唱団がはじめて新たに取り組んだ合唱作品でもあります。ですから、私も、合唱初心者として10年前に歌った作品です。
あのころは、それでも音を正確に歌うことに精一杯でした。 今回は、「やさしい曲を上等に…」のごとく(しかし、音楽的素養が充実したわけではないから、自分なりの方法で音楽も詩(これも、ここでは決して「詞」ではないと思います)も(理解するのではなく)感じて)、11月4日を迎えられれば、と思います。歌を離れて、作品の研究だけでも、十分に価値のある名曲ばかりがそろっているメドレーですから…。
その解釈や理解が正しいか否かではない。解釈や理解をしようとしたことそれ自体が大事だし、それを合唱団が共有していることが大事なんだ、ということを、前回共演したときの指導・指揮者であった田中信昭先生はおっしゃっていたように思うので、私なりの、故郷、春の小川、朧月夜…と続くこのメドレーの理解に励んで、決してプロ合唱団がなし得ないこと(=一つの公演に時間を割くこと)をした上で、公演に臨みたいと思っています。
久々の、完全プライベートネタでした。
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