最近の私的の雑感

不定期・不確実の、妄想・幻想・感想 etc.

「戻る」ボタン又はトップページに戻るにてお戻り下さい。



2007/05/10/(Thu) あれ、日記が残っていない…5/3

5/3 、久しぶりに日記を書いたつもりだったのですが、残っていないことに一週間もたって気づきました。登録ボタンを押し間違えたのでしょうか。

書いたことは、5/3 ですから、憲法のこと。

何年か前のここの日記に、憲法をどうかえるかではなく、その前提であるどういう日本にしたいかが先だ、という社説を紹介しました。これは今も同じで、今、改正の手順を決める法律を作って、国民投票して、かえたとしても、どうしたいかがわかっていないのだから、字面がかわるだけでしょう、という趣旨のことを書いたはずなのですが…。

養老律令が明治憲法まで生きていた(廃止されない国の基本法として)、というのは、学生時代に教わった驚きの一つでした。日本は憲法をかえない伝統があるのか…。
そして、明治維新で、先進国に入るために無理やり法律を作って、見事に失敗しました。少なくとも、昭和40年代ぐらいまでは、法律と社会の乖離は明らかで、「法律の世界」と「現実」は区別されてきた。
ところが、グローバル化と称するアメリカの押しつけに右へならえするために、無理やり日本社会を「法化」させたのがそのあとから現在まで。そうすると、人は都合のいいところだけ「法意識」を身につけて、法律の厳しいところを知らんふりして「悪用」するようになった。

と、いうのが、私の最外郭の法律実務家としての意見であり、印象であり、感想であり。だから、今、この仕事をしているともいえる。

憲法は、解釈改憲や変遷が良いとはいいませんが、日本人らしく解釈されて(9条除く)、逆にもっとも根付いている規範のような気もします。まー、曖昧な日本の私を含む曖昧な日本人と、曖昧な憲法だからなのか?? そんな中で、「どういう日本にしたいのか」が見つからないままに、憲法の文字の羅列、紙のインクの滲みだけをかえても、法律と無縁の明治の日本に法律を接受したのと同じことになるでしょう、というような内容だったと思います。

それから1週間。また、そんなことを予想したくなるような事件や事故がおきているような気がしてなりません。


2007/04/10/(Tue) 四十肩でなるほど

リハビリの期間が制限されて、「リハビリ難民」が増えている、という特集を、ニュースや新聞、週刊誌でもみたことがありました。本当に、一律に限定するなんて、交通事故の現場も、被害者の姿もみずに、医者のカルテをちょこっとみて、1、3、6か月の法則(と、私もこの仕事をした経験の蓄積で感じていましたが、治療機関をこの1、3、6か月で区切る法則があると明言している本を最近みつけました。いずれにしても、憶測ですけれど…)をあてはめて治療を打ち切らせる保険会社と同じじゃないか。いや、保険会社より悪いのは、医者が必要と認めても、この期間は絶対ということだそうで。

上記のニュースの特集では、リハビリを受けて回復がつづいているのに打ち切られて、その後自宅で自力で続けたがうまくいかず、間もなく再び寝たきりになってしまった、という事例を取り上げていました。こうなると、医療費を抑えるためのリハビリ期間制限ですが、かえって、介護費用が余計にかかるんじゃないですかね。そうなると、誰の何のための制限なのか。

と、深刻で困った問題だ、という認識はあったのですが、「となりの子供が死んでも、自分の子供が蚊にさされた程度」という哀しいたとえ話のとおり。というのが、自分の現実でした。

でも…早2年前の10月くらいから違和感を覚え、昨年の夏にはついには頭の右側に左手が届かなくなり、同年秋には寝ていても痛むようになった、四十肩。寝ていて痛むので寝不足にもなるので、あわてて医者にいったのが、昨年10月でした。そのときに「半年から1年で自然になおる」といわれ…1月まで症状の改善がないからと、群馬大学医学部附属病院を紹介されて、移りました。
その1月にも「1年はかかる」といわれて…そんなー、10月から3カ月たっているのに、また1年なんですか…と思ったものです。
そして、リハビリを開始して、先日、すでにリハビリは85日目なんだそうですが、「あと1年はかかります」と、またもいわれて…85日経過したのに、また1年??
と、ショックだったのにくわえて「リハビリは5か月しかできないんですよ」といわれて、冒頭の問題を実感しました。なるほど、これもリハビリ難民だ!

ということは、医者が口をそろえて1年かかるといっているのに、リハビリ治療は5か月。素朴な疑問です、これ。

そういえば、リハビリの先生が「どこまで動くようになりたいですか」って、今までに3度くらいきいてきたなー。「それって完治しないってことですか?」と聞くと、明確なこたえがなかったのですが、なるほど、完治するかどうかはともかく、医学的経験則から1年かかるのに、5か月しかリハビリできないから、5か月でどこまで動くようにしたいか、という質問だったのか…と、勝手になっとくしたりします。

たしかに自然になおることは多いようですが、私の場合、母も50肩で、ついに固まってしまって、今はもとに戻る見込みはないといわれています(まぁ、20年近くたってしまいましたから)。そうすると、1年かかるものが5か月でやめると、7か月分動かないままになってもおかしくない。これが母のように固まってしまうのだとすると、これは障害手帳をいただけるほどの稼働域の制限が残ります。でも、厚労省と医者が結託するのかどうかはしりませんが、固定していないとかなんとかいって、それも認めないのだろうから、これから残りの人生不便な思いをするしかないのだろうな…と思ってみたりもします。で、こういう症状の同じくらいの年代の人は、決して少なくないようですから…。

なるほど、保険の適用外ならばリハビリ治療を続ける選択肢は残ります。

そして、またわかったこと。金持ち以外は病気もなおさず、生きていなさいよ、という世の中に、やはりなっていくんだな、ということ。

(↑かなりひがみも入っていますが(^^)、現実はあんがいこんなものかもしれない)。


2007/01/27/(Sat) 別にどうしても座りたいわけじゃないけど…日本も終わりだ

今日は東京にいきました。

かえりは新幹線にのりました。新幹線というのは、片側は3つの座席がならんでいるんですね。そうすると、見事! たまたまだとは思いますが、半分ぐらいは、通路側と窓側の座席に座っていて、真ん中があいている。いや、あいているならば結構。通路側の方は寝ている(寝ているふり)か、その真ん中には、かなり大きな荷物がおいてある。

あんた、上の荷台はあいているし、大きいといっても乗せられない大きさではないでしょうに!

寝ている方を起こしては気の毒だ。あんな大きな荷物を「座りいたのでどかしてください」ともいいづらい。結果、デッキで立って高崎駅まできました。

別に、どうしても座りたいわけではないですが、私が今日のったのは上野です。東京からわずか10分たらず。寝ているといったって、寝るなら真ん中に座って通路側をあければいいでしょう。真ん中にドカッと、大きな荷物をおかなくていいでしょう。上野、大宮はのる人が多いのはわかっているのだろうから、せめて、大宮をすぎるまでは、荷物をおいておくとしても、人がたくさんのってきたらすぐにどかせる体制でいるべきじゃないんですか?

と、というのは、むなしい話です。彼、彼女たちは、となりにすわると狭くなるのを嫌っておいているのはわかっています。と、という発想になる人が、たまたまかもしれないが、私ののった新幹線の4号車の半分くらいがそうだった、ということから、日本も終わりだ、と思うのです。自由席なのだから、あなたも私も同じ権利ですよ。
(これに、子供がからむと滑車がかかる、というのは、あえて今日は控えましょう。子供を座らせるために親がどんなに無謀なことをしているかといえば…)。

たぶん、「あいていますか」の一言をかければゆずるつもりだった、というのでしょう。だから、私は悪くない、ということでしょうか。

ええ、確かに権利主張しないものが悪いのかもしれません。でも、権利主張しなければ、荷物置き場と自分の座席と、立っている人がいるのに平気で2つの座席を占領する人種がこんなに増えたと思うと…。

と、いうことに怒りや悲しみをおぼえること自体が虚しい世の中なのかもしれません。

私と一緒に、子供を2人つれた夫婦がデッキに立っていました。母親は乳母車をおしていました。私のたっていた場所も関係するのかもしれませんが、座っていた方がトイレにたって、とおりづらいなーという顔で、私や乳母車をみていました。

…ことばにできなーい(小田和正)ですね…。


2007/01/15/(Mon) 電話に特化した携帯電話

って、発売されないですかね。

電話に特化。固定電話と同じような機能があり、携帯ならではの機能もあるもの、という意味です。

たとえば、固定電話の留守番電話は、携帯のそれとくらべれば、録音できる件数も秒数もずっと長いのが普通です。応対メッセージを複数録音しておいて選ぶことができたり。そして、外出先からリモコンで、録音をきけたり、消せたり、留守番機能のオン・オフを切り換えたり。あるいは、着信転送なんかも、固定電話はとめたり転送先をかえたりすることができるのもあります。
携帯には、そういうの、ないですよね? 携帯しているのだからそんな機能は不要だ、という意見もあるかもしれませんが、携帯電話を2台もっていたり、うっかり家に忘れてきたりしてしまったときは、このような固定電話の機能は便利だと思います。少なくとも、録音件数と秒数の制限は、固定電話並にしてほしい…。

ファックス内蔵も半ば当たり前。ファックスの受信ができて、送信もできる。ハンドスキャナーを応用したり(数年前に、なぞる方式のスキャナがありましたが)、携帯に内蔵されているカメラを応用したりすれば、ファックス自体は不可能ではないのでは、と思います。

あと、固定電話には、「ただいま呼び出しております、ファックスを送信される方は…」みたいな切り換えができるものがあります。これを携帯にぜひ、応用してほしいのは、「ただいま運転中です。自動車を寄せて停車しますので、お待ちください」というメッセージで、相手に10秒程度待ってもらえないか、というものがあります。4以上の車線の道路の第2車線を走っていると、10秒ではつらいかもしれませんが、たいていは、車を寄せて停車するのに、10秒程度あれば間に合います。もちろん「呼び出しましたが出られません、ピーっとなりました…」という固定電話のメッセージと同様に「車を寄せられる場所がすぐにみつかりません。後ほどおかけなおしください」などと、10秒たったらさらに案内する…というのはいかがでしょう。

ハンズフリーも内蔵して当然だと思います。法令で禁止されてから今になってもこの程度の対応では、自動車メーカーと携帯会社のたいまんだ、という趣旨のことは、この日記にも何度か書いていますが、自動車メーカーが協力してくれないならば、携帯メーカーだけだって、なんとかなります。サンヨーさんの得意とする分野ではありますが、固定電話で「手ぶら」シリーズなどもあります。これと同じ機能を携帯電話につけてくれるだけでも、大分便利ではないかと思います。そして、上記と同じく「ただいま運転中です。おつなぎいたしますが、電波の状況によっては通話が途切れることがありますので、予めご了承くたざい」くらいのメッセージを流してつないでくれるようなもの…。

東京にでかけると、イヤホンを常時つけている方を多くみかけます。なぜ? と思っていたのですが、先日、東京を1日歩いてわかりました。冬服のポケットでは、バイブレーターに気づかないことが多い。そして、着信音を設定していても、東京のうるさい道を歩いていては、着信音が聞こえないことの方がむしろ多いのです。そうだとすると、イヤホン内蔵とか、骨伝導システムや bluetooth などは、必須の機能ではないかと思います。

東京ついでで、「ただいま公共交通機関の中におります」と、ドライブモードと同じく、別メッセージはないものでしょうか。東京にでかけると、自動車内と違ってハンズフリーもつかえないので、電話にでらない時間がよりいっそう多くなることも、東京に出ると感じます。そうそう、上記の自動車の場合と同様に「ただいま電車内です。デッキに移動しますのでお待ちください」という形での対応でもよいと思います。

Willcom の「9」が、評価は分かれるものの、潔く機能を削ったとありました。この方向の製品は、たしかに魅力ですが、私は、潔く削るだけでなく、何かに特化してほしいと思います。「9」も、せめてハンズフリーとか、イヤホンや Bluetooth 対応ならば、現時点では上出来、と買ったかな、と思います。そのくらい、上記のような、通話のための機能に特化したものが発売されたら、今はすぐにでもほしいと思うところです。そうねー。ファックスと同じ、あるいはそれ以上にメールは連絡手段として必須ですから、メールの送受信くらいはあった方がよいかもしれませんが、でも、個人的には、メールを犠牲にしても、上記の機能がそろった端末が出たら、ほしいと思います。

W-SIM ならでは、で、Willcom さんにも期待したいし([es]利用者としては、ジャテケットのよいところで、ふだんは上記のような端末につけておいて、メールやブラウザが必要になったら[es]に乗せかえ、ということもできるでしょうから)、予想外を変な方向にばかりしている Softbank でも別にかまいません。あ、今年は2社、新規参入するんですね…。

どこか、そんなの、出してくれないですかね。

(ちなみに、ファックスは今は、擬似的に現在の[es]で対応しています。d-fax で受信し、iFAX で送信すると、[es] のような添付ファイルも送受信できる携帯では、携帯ファックスが実現できます。しかし、これを携帯端末そのもので実現できれば、というのが上記の趣旨です)。


2007/01/06/(Sat) 環境庁にもの申す!

って、大げさなもんではないですが、昨今の国政は、都市出身の議員さんばかりだし、裕福な二世議員ばかりだから、とは思いたくないのですが、地方の実情を知らないの? 思うことばかり。

今度は、正月早々から、電車などを使った人に買い物につかえるポイントを付与するテストをしてみるとか。

あのねー。地方の人は、ニュースでは、もっとも二酸化炭素を出している地方都市として前橋があげられていましたが、好き好んで自家用車通勤しているわけじゃないんですよ。

だいたい、電車で通勤したり買い物するのとくらべて、自家用車をもつのは、コストがかかります。車代しかり。維持費、保険料、ガソリン代。目に見えないものとしては、事故のリスク、運転の疲労や、到着時間が正確に読めないイライラ…。

福知山線みたいなことはあってはいけませんが、東京出身の私が群馬に引っ越してきたときに、アポイントのとり方が、東京とくらべて曖昧なのに驚きました。でも、自動車で移動することを前提とすると、分いや、30秒単位で正確な東京の国電(です、当時は)で移動の場合とくらべると、これもやむを得ないのか、と最近は感じています。でも、これは経済的にも損失だし、精神衛生上もよろしくない。
だから、わざわざ高い金払って、イライラがつのって、経済効果もマイナスな自家用車通勤や、自動車での移動をしているわけではないのです。むしろ、仕方なく自動車を使っている側からいえば、公共交通機関が発展していないのは行政の責任なのだから、補助費を出せ、といいたいくらい。

(ちなみに、飲酒運転についても、この日記に以前に書いたとおり。今回の道交法改正案は、飲酒運転撲滅には効果はあるかもしれませんが、地方都市の経済構造を壊滅させるリスクさえあると、私は思います。少なくとも、同乗者とお酒の提供者が免責される基準は明確にしないと、萎縮効果が働いて、冷えきってしまいますよ…。群馬や秋田、長野も充実しているそうですが、代行運転を上手に使ったり、このあとに書くとおり、公共交通機関の発展の方が、根本的な解決です…ほら、たかだかお酒を飲むことだって、好き好んで自家用車を使っているわけではないんです)。

なのに、このたび、上記のとおり、電車やバスを利用する人を優遇するとは。

たとえば、以前から「飲み会」となると、バスを使う努力をしていました(ダメなときは、ガソリン代+駐車場代+代行代を覚悟してでかけていましたが)。
しかし、引っ越しする前は、自宅から繁華街まで、2時間に一本のバスのみ。しかも、終バスが19:50ですから、飲み会につかえないのは明らか。繁華街近くの現在の家に引っ越しても、バスは平均10分に一本。しかし、福知山線の悲劇はさけなければならないのは当然としても、『世界の日本人ジョーク集』にありました。
客「なんで今だけ正確にバスがきたんだ、遅れてくると思ってきたから乗り遅れたじゃないか」
バス会社「ご安心ください、今出ていったのは、昨日の(遅れていた)バスです」
という趣旨のものがありましたが、10分おきにあるとはいっても、次のバスがきたのか遅れたバスがきたのかわからないような状態が、高崎のバスの実態です。こんなの、飲み会につかえても、仕事にはつかえませんよ!
その上、ますます廃線がふえ、市町村合併で合併された自治体のバスは廃線においこまれる。と、いう具合に、ますます地方は公共交通機関が不便になっています。
高崎のある市議会議員が「私がぐるりん(市内巡回バス)を作りました」と、選挙のときにいっていましたが、ぐるりんは、あの本数では無意味です。まして、今みたいに路線が細かく分かれていては、同じ路線内はよいのですが、(巡回バスの欠点ですが)別路線にいくには、大回りして乗り換えなければならない。その上、乗り換え(各路線が合流する)バス停で、相互に待っていないので、乗り換えできない組み合わせもあります。そんな不便なもの、誰が使います? という話に対して、「テスト的に運転しているから本数がすくない」と弁明もあったようですが、本数が少なければ使いませんよ。使われなければテストにすらならない。
だから、たとえば、バスを使った人にポイントを出して買い物させるよりも、こういうテスト路線に補助金でも出して、最初から5〜7分に1本くらい運行させてみなさい。その方が、よほど、長期的には、自家用車が減るはずです。

だから、今回の環境庁のテストは、ますます都市に住む人を優遇する政策にしかみえません。ただ、都市部ばかりあからさまに優遇すると、さすがに地方から文句がくるから、「環境」とか「CO2削減」とか、耳障りのよい言葉をオブラートにしてやっているだけじゃないの?

現在の東京とはいいませんが、せめて、昭和30〜40年くらいの東京と同じくらいの細かさの網の目で、密度(時間の間隔が狭いという意味)になった公共交通機関を作ってから、こういう政策はやってくださいよねー。

ま、日本の経済をささえている主要産業に、建設業と自動車産業をはずせないのはあきらかです。だから(票がかせげなくなるから)この2つの産業に不利な政策をとるはずがない。それが資本主義+民主主義の国家体制といえばそれまでですが。


2006/12/23/(Sat) 憲法改正に賛成、に、最近考えがかわりました

最新の憲法改正に関するあるアンケートでは、わずかながら改憲が反対をうわまわったというのを知りました。

私は…憲法改正反対(9条改正。他の「権利のカタログ」の改正は別にかまわないと思うのですが)でしたが、最近思うのは、改憲賛成です。

ただ、政府与党が主張している方向への改憲ではなく、より明確に、戦争、軍備禁止を明示することへの改憲賛成かな、と思うのです。

この日記の大分前にも書きましたが、私の学生時代は、自衛隊が違憲かどうかが争点でした。その争点の回答、結論もないままに、国際情勢の影響もあってか、自衛隊は「解釈合憲」、その合憲な自衛隊がどこまで武力を行使できるか、というところに、いつのまにか論点が移ってしまったように思います。

解釈改憲、憲法変遷、というのは、法律学の内包する論理矛盾では? と思うこともあるのですが、この弾力的な解釈で、憲法は60年以上、修正なしに過ごしてきました。時代に流れるのは、憲法解釈にあってはならないという考えもある一方、時代にあっていない憲法の存在意義も「??」なところがあるのもたしかで、だから、ある程度の解釈改憲や変遷は許容するべきではないか、とは思うのですが。しかし。

現在の9条が、昭和20年代、30年代、40年代…と10年単位でみても、その時代の情勢にあわせて解釈されてきて、その過程では、自衛隊(一例ですが)が違憲と認識されたり、合憲と解釈されたり。その揺れ動きまではよいとしても、そこから一歩踏み出す(合憲、違憲の考え方すらを否定するような)解釈をするならば、それは解釈ではなく文言をかえるべきではないかとも思います。

それで、私自身としては、自衛隊が「あたり前のように」合憲で、それを前提にするような解釈が「あたり前」になるのだとすると、もはや、解釈の範囲に釘をさす必要があるのではないかと、最近思うのです。訴因変更の限界論にちょっと似ているのかな…。

生活に問題がなければ、自衛隊が自衛軍になったときには、日本脱出をしたい、と思うところですが(日本に感じる唯一の魅力がなくなることと、たかだか国際情勢の変化でたかだか60年で理念をまげてしまうような情けない国の国民という意味で)、現実は、そんな生易しくない。だから、日本国民から反対がでないからといって、全国民が賛成しているわけではない、ということも、(軍事拡張の方向に)改憲を主張する皆さんは、反省する気持ちをもってやってほしいところです。


2006/12/03/(Sun) マイお箸

突如、マイお箸を購入しました。
なんでも、コンビニの一部は、割り箸が有料になるそうだし、最近はファミレスも箸がおいていない(ください、といえばだしてくれますが、机などの上に)ところも増えてきているので、不便に感じたのが理由です。

で、割り箸のことを調べてみると、ネットでサッと検索すると、正反対のことが書かれています。割り箸はもともと廃棄される廃材を使っているから環境破壊でない、という意見と、主に中国などから輸入している木材で廃材ではない、という意見と。

どっちが本当かわかりません。それに、私は環境問題を考えてマイお箸を使うことにしたのではありませんから。

ネットで出てきた、銀製の携帯箸も魅力だったのですが、なにせ有限会社設立の仕事をして、手元に残る報酬くらいのお値段! さすがにこれはあきらめて、普通の携帯箸を購入しました。

でも、買うときめていろいろ調べて、箸って面白いもんですね。

抗菌加工して汚れのつきづらい塗りをほどこした…なんて商品はまだないようですが、こういうのが出てくると、結構売れるのではないかしら…。

<< NEW [最新][1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][最古] OLD >>