最近の私的の雑感

不定期・不確実の、妄想・幻想・感想 etc.

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2006/03/18/(Sat) ちょっと甘くないかねー

私的な雑談に書いています。
行政書士会も、法律改正にもっと敏感になって欲しいと思うところがあります。いや、行政書士も、法律改正にもっと敏感になり、法のかわるところに行政書士の仕事あり、ということを、もっと積極的にしてほしいと思います。

と、ここまでならば、「業務上の雑談」に書くことですが、今回はこちらに記載しているのは、業務に直接関与しないからです。

家電安全法、電気用品安全法にともなって、リサイクル業者や音楽業界からの要請に、経済産業省が対応を表示しました。この対応自体、不公平で、不十分なものだと思うので、政府何ヤッテいるんだ、というのは、もちろん、この問題にもっとも強いものです。

でも、リサイクル業者‥。あなたがた、プロでしょう? 国からの広報がなかったとか、それが著しく遅れたって、甘えすぎじゃないですか? 法律は、官報にのります。それを見落とした自分たち、あるいはその業界団体の落ち度は、責任をとらないのですかね。

行政書士会が法改正に敏感になれ、は、法律家のはしくれですからより強く要求されてしかるべきです。

しかし、法律家のはしくれでなくとも、通信業界、建設業界、風俗営業のみなさんなどなど。法改正には、行政書士よりも敏感で、成立していない法律の、改正検討段階の情報もかなりもちあわせています。だからこそ、早期に対策をうって、可能ならば反対運動などをして、それがかなわなければ、法律の範囲内での対応策をうってきている実績があります。先の自動車リサイクル法なんかは、その最たるものではないでしょうか。

音楽業界は、直接ビンテージものを販売するわけではなく、一利用者ですから仕方ないのかもしれませんが、楽器店や、リサイクルショップには、「ちょっと甘くないかねー」と、今回は感じてしまいます。だいたい、法律は国民が選んだ国会議員さんが作るもの。すなわち議員をとおして国民が作っているわけですから、しらなかったという道理は形式論としては通らない。

と、いう疑問と共に、この問題にあのような中途半端な対応策を表明する政府の責任はなんなんでしょう。あれが通るならば、法律の改正をしりませんでした戦法で、イロイロな団体から、いろいろな要望が出てくるように思うのですが‥。


2006/02/28/(Tue) 言葉がなくなる?

先日、スーパーで買物をしていました。BGMで季節柄、春の唱歌や雛祭りの歌が流れていました。

6〜7曲くらいがスーパーに居る間に聞こえてきたでしょうか。

そのほとんどが、所属合唱団で歌ったことがあったり、今練習している曲。流行り歌ばかりの中でこういう曲がBGM(多分、有線放送でしょう)で流れるのは、なんとなくいいなー、と思う反面、悲しいというか、怖いことも気がつきました。

ほとんどが、歌詞が違うのです。

今回は入っていませんが、私自身歌詞がかわってしまって悲しいと思う代表的な一つが「春の小川」。歌詞がかわったのは、現代語との違いが理由と聞いたことがありますが、旋律の美しさを活かすには、やはり以前のままの方がはるかに優れているのは、誰が聞いてもわかるのではないでしょうか。

今回も、「どこかで春が」で、私が一番この曲の季節感や情景をあらわしていると思う歌詞が変更されていました。「山の三月東風吹いて」が、「山の三月そよ風吹いて」に‥。「東風」と「そよ風」は、意味も、情景も全然違うじゃないか!

賛美歌で「賤の女をば母として」の「賤」が差別用語だとして、現在は歌われないというのも、合唱団でこの曲を歌うときに聞きました。でも、キリスト・イエスの生誕の、聖書の上での意味合いを考えても、「賤の女をば」は、的確な言葉だと思います。それは差別用語であっても、そのような差別的な女性から生まれたからこそ救い主なのだと、私は理解していますので。

この他にも、「赤とんぼ」の3節が、しばらくの間教科書から削除されていたのは有名な話。「15で姉やは嫁に」いくからこそ4節の歌詞に繋がるのではないでしょうか。なのに、現行の民法で、女性でも16が婚姻適齢だ、というのが、削除された理由だったそうですが、歌の歌詞とはそういうものではないでしょう‥。

はっきりと、「馬鹿な文部省の役人」と言いたいところです。群馬出身の、総理大臣の息子がやっていましたけど‥。

美しい、情緒ユタカな言葉がなくなって、数百年しか歴史のない国の言葉と文化が氾濫する日本にはなって欲しくないと思うのでした。


2006/02/01/(Wed) この時期にして今年最大の心残り?

1/29 、群馬県合唱連盟、高崎市民音楽連盟の前理事長、故・斎藤民先生がご指導されていた「みどり会」による追悼演奏会がありました。

私も、みどり会合唱団におりましたので、当然参加の予定だったのですが、12月以降、練習にはまったく参加できない状況が続いた上、なんと当日に出張が入ってしまい、参加することができなくなってしまいました。

早くも、これが2006年最大の心残りになるような気がします。

形に、行動に移すことができませんでしたが、せめて、このプライベートな雑談の場に、その残念さと、追悼の意をあらためて表しておきたいと思います。


2006/01/24/(Tue) 12/6 ネタの結末(機械モノねたその3)

1か月後に、ポケットに何が入っているか、と、12/6 に書いていましたが、結論はWX310J でした。

ただ、PHS は2台使っていますが、音声のメインのJ3003S を機種変更したのではなく、主にデータ通信用にしていた K3001V を機種変更してのものです。ただ、半分くらいはこれは後悔(選択ミス)していて、J3003S を WX310J にすれば良かった‥という理由です。

WX310J は実際に購入してみて、実に私にとってはバランスのよい端末でした。rx1950 は、その主要用途はスケジューラとメモ(ボイスレコーダーまたは、手書きによるメモ)で、プラスアルファとして携帯音楽プレイヤです。しかし、スケジューラとメモとしての便利さは、WX310J に軍配があがります。そしてドキュメントビュワーとしても残念ながら Docuworks 形式は読めないものの、PDF も Word も Excelも読めるので、rx1950 にほんとどとってかわることができます。それでいて、重さは互角、大きさはやや小さめ。hp1920 も、大きさにはやや不満だったから、軍配はWX310J です。

ただ、キーボードによる入力が出来ないのが難点。

12月、PHS の新機種が続々発表されていて、私の hp1920 が故障したのに踊らされて現在のようになってしまいましたが、今振り返ると、hp1920 を修理、J3003S を機種変更して WX310J に、そして K3001V は手持ちの白ロムの、SD型PHS に変更するのが、理想的だった‥というのが、結論であり、後悔のネタです。
というのは、1920 は、赤外線のキーボードが使えるので、キーボード入力端末+携帯音楽プレーヤーとして活用できますし、スケジューラとメモとしては WX310J、速度は遅いものの、ノートパソコンや Mio168用としてのAirH" としてSD型PHSと、使い分けとニーズにそれぞれ適合させることができたように思えるからです。

現状は、rx1950 が、赤外線キーボードに対応してくれることを期待しているのですが‥なかなかこれは難しそうです。

12/6 の結果がこんなふうになりました、という日記ですが、WX310J はかなりお勧めの、私にとっては、Panasonic HV210 以来の、満足のいくPHS 端末であったことのご報告(誰に報告だ?)です。


2005/12/09/(Fri) ↓の続き

7日、予定とおり rx1950 がきました。
フリーウェア・シェアウェアにはずいぶんお世話になっていますが、愛用しているソフトのうち、2つが WM5.0 のこの機種では動かないことが判明。作者のサイトにいっても、最近開発が止まっているし、すでに PocketPC をもっていないようなので、この対応は期待できそうもありません。Dos のときは「上位互換」はかなり達成していたように思う OS のバージョンアップですが、Windows も、95 と 98 、ME と XP(または2000) の間には、比較的基本的なソフトの互換がないなど、あたかも買い換えや古い OS のサポートを打ち切るための術のような疑いももってしまうほど。WinCE に関しては、過去に何度こういうことがあったでしょうか。

ターガスキーボードは、メーカーから現時点では WM5.0 に対応していないことを聞いていました。ためしに入れてみましたが、やはりダメでした。ただ、メーカーからは対応を否定する回答はありませんでしたので(逆に「対応する」とも言っていませんが…)、これはメーカーさんに期待するしかないでしょう。

と、思っていたら、なんと、赤外線のIF の位置が変更になっている! 左横か上にないとならないキーボードなのに、なんと、左下。ただ、諦めかけたところ、2003 カラ対応の横置きにすると、IF が左上にきます。これならなんとかなるし、エディタなどはもともと横置きの方が使いやすいので、かえって良いかもしれません。だから、早く、対応してくださいね> ターガス社様。

hp1920 が故障したために買い換えたわけですが、このような不便はあるものの、rx1950 の無線LAN は、やはり便利です。ホットスポットはあまりにも高い気がするので使う気になれませんが、いざというときには、従量制のスポットを覚えておけば、使える機能です。自宅の無線LAN に接続してみましたが、これはなかなか快適。もう少しIE の性能がよければよかったのですが…。かといって、NetFront までお金かける気はしないしなー。
メールは、やはり標準のものは不便。さっそく nPOP を入れてみましたが、これは実に快適(^^)。こうなると、SD型のAirH" を復活してもいいかなという気がしてきますが、SD型AirH" はネット25にも対応していないので、32kが限度。さすがに昨今のネット端末としては遅すぎるでしょうか。
で、ここまで無線LAN が使えるところから、Skype も試してみました。LAN 接続では、問題なく使えます。音声も、アナログ携帯電話程度にはなっている感じ。さすがに32K接続のPHS では、音飛びだらけでした。これがそこそこ会話できるならば、面白かったのに…。
…と、このあたりの情報は、もし W-ZERO3 を検討している方が見たら、参考になるのではないでしょうか。W-ZERO3 よりも CPU の性能は劣る WM5.0 端末でこんな感じですよ、というところで。

WM5.0 は、細かいところもかわっているようです。ダイアログボックスが真ん中に出るのではなく、Yes/No は、下のステータスバー(というのでしょうか)に出てきたり。これは、片手で操作するときはきわめて便利です。ボタンへの機能の配置も、ボタンの長押すなどもできるようになって、これはやはり便利でした。
ただ、WindowsCE伝統の、アプリケーションソフトを終了させる機能が標準でついていないのは、あいかわらず。いちいちメモリツールを開いて終了させなければならないあたりは、不便です(これは、シェアウェアのツールで対応できますが)。
あと、手書き認識は、目立たないですが、かなり認識がよくなった気がします。携帯の予測変換などは無いですが、このくらいよくなってくれば、なぐり書きで100%ただしくなくとも、前後の関係から意味が推測できる程度には認識します。これがはじめて、メモとしての実用レベルといえるのではないでしょうか。

と、こんな印象をもった中、W-ZERO3 予約開始。ネットをみていると、Willcom ストアのサーバーはダウンするし、秒殺? で予約終了と、盛り上がっているようです。上記の不満が WM5.0 にはあるものの、思ったよりは使えるようになった、という印象なので、あらためて W-ZERO3 も検討してみようかな…とも思いましたが、偶然、rx1950 を、附属の専用ケースにいれると、W-ZERO3 とほぼ同じ大きさ(重さはW-ZERO3 の方が重い)。このケースにいれて2日持ち歩いてみましたが、やはり、大きいですよ、これは(^^;。hp1920 のように液晶を破損してしまうことを覚悟の上で、ケースにいれないで私は持ち歩くと思います。ということは、W-ZERO3 は大きすぎ、ということで見送りですかね。


2005/12/06/(Tue) ひさびさの機械モノねたです

HPやブログ全盛の時代、キカイモノの話は、だいたい自分が思うことは他の方が整理して、詳細な資料や実験データまでつけて公開しているので、ここへの記載もしていませんでしたが、ちょっと久しぶりに…。初代Dynabook(SS001)や、カシオのHWの初代電池駆動タイプ、16βなどを使っていたモンからすると、やはりその血は騒ぐのが、このところのWillcomです。
(そもそも修士論文の大半は、オアシスポケットで書き上げましたし、行政書士開業当初は、ポケットコンピュータや、カシオデータバンクでの仕事と、モバイルは、もうはや何年でしょう。)

2年半前、勢いで買ってしまったhp1920が、ついに故障してしまいました。不注意といえばそれまでですが落さないようにクリップのストラップを付けていたのですが、そのクリップの先が1920の液晶を割ってしまいました。なんとも皮肉な話です。

その破損の翌々日がWillcom Zero3 の発売日が発表の日。このような端末は、もう10年以上前から願っていました。それに一番近かったのは、京セラDS-110だと、個人的には思います。あれに外付けキーボードが繋がったり、最近のパケット対応版があったら、今でも欲しいと思う端末です。
が、実は、今回は、見送るつもりでした。hp1920 は SDIO ではないのが最大の欠点でしたが、実は Mio168 もカーナビ専用で利用しています。そうすると、Mio168 と、SD カードタイプ AirH" 、それと、現在使っている J3003S の組み合わせは、なんと、重量、体積共にほぼ互角なのです。一つにこれらがまとめられるメリットは確かにありますが、別々だから必要に応じて、一部を持ち運びできるという利点も現状はあります。現実に、着信転送を駆使して、休日は Mio168 だけを持ち歩いたりもしているからです。それと、私はどうしてもキーボード人間。欲をだせば親指シフトではないという欠点はあるものの、hp1920 も Mio 168 も、ターガスのキーボードとセットでそこそこテキスト文書の作成はできてしまいます。この点、IrDA に対応していない Zero3 は致命的なマイナスだったのでした。潔く、スライドキーボードが着脱式で、ターガスキーボード対応、外したときが120g前後…なんて仕様だったら、倍の値段でも買っていたかもしれません。

私はレアなユーザでしょうから、上記の希望をかなえる端末は、きっと売れないでしょうから、これが叶わないことはあきらめています。が、なんとか代替手段を考えるのが、モバイラーの宿命? 。

さて、幸いにして、7日、rx1950 が届くようです。これは hp1920 の修理代金とほとんど同じ値段でかえるということで、注文しました。ここで2日間いじくりまわして、9日に、Zero3 を注文するかきめようというのが、現在の企みです。

ただ評判では、あまりにも WM5.0 は、従来の PocketPC の OS と互換性がないようで、たとえば、ターガスキーボードも現時点では対応していないとのこと。

他方、PHS の方に目をむけると、J3003S が、いい加減バッテリがへたってきました。バックライトを5秒の設定にしていても、1日がやっとで、2日目の途中で電源が落ちてしまいます。それと、有名な京ぽんよりは良いという評判ですが(現実、予備機で京ぽんももっていますが)、今まで使っていた DDI-Pocket 端末では、もっとも感度が悪い端末でもあります。最初にかったカシオのとか(まだ、H" になる前)と、あまりかわらないのではという印象すらあります。(移動中は、H" になって格段によくなっています。移動していないとき)。だから、これもそろそろかえどきなのですが、通話感度以外は、J3003S は、地味ながら非常にバランスがいい。このWillcom の新端末構成で比較検討したものの、どれも中途半端に高機能化をして、基本が忘れ去られているような気がします…そもそも私が携帯を持たないのは、たしかに電磁波とか、料金とかありますが、現在携帯で実現している機能は、ほとんどが中途半端で、遊びの域を出ていないと感じるから。通話以外の付加価値で、携帯においついたという評価があるようですが、携帯に追いついただけでは、0から中途半端になっただけで実用レベルではありません。

それに…京ぽん、洋ぽんとも、2万円台の価格。通話とメール受信、最小限度のWebブラウズができれば良いという私にとっては、この価値はない値段だし、大きさという性能が J3003S より劣る分、中途半端なイメージがますます強くなります。その点では、1万たかくても Zero3 かな、とも思うし、小ささという性能にほれこんで TT という選択肢も…(ただ、TT も致命的なのは、ハンズフリーがどうやってもつかえないこと。これはこの「日記」に、4年前の道路交通法改正以後、端末メーカーも自動車メーカーもそれを当然とする開発をしてこなかったことがおかしい、と以前に記載したとおり。自動車より電車が交通手段の主役である、東京、大阪の意見がやはり多数なのだろうか…。それと、W-SIM は、私は否定的です。今の通信技術の進歩の速さからすると、ジャケットにインセがあり、10か月のしばりがあれば、気楽に着せ変えジャケットを購入できませんから…。今の状況だと、一つ購入。良いジャケットが数カ月後に発売もインセと10カ月しばりで高価なため見送り…やっと10か月たつと、新技術で W-SIM も買い換え…ということになるのではないでしょうか。そうなると、結局、なーんだ、かわらないじゃん!)。

携帯端末関係は、ずらずらと書きましたが、PHS すら通話料金が適正ではなく高すぎると思っているだけに、携帯に金払うなんて、ボロ儲けを助長するようなもの。とは思いますが、さてさて、1か月後には、私のポケットには何が入っているでしょうか。


2005/12/01/(Thu) いよいよ明確に

森永先生の『年収300万…』などをここでもあげましたが、所得格差を大きくし、所得の大きい人はより大きく、小さい人はぎりぎりしなない程度まで押さえつける。

いうまでもなく、そういう政策が一層すすむようです。

機会の完全平等があれば、私はそれも一つの立派な政策だと思いますけれど、機会が完全に平等ということはありえません。今はやりのIT産業。時代に乗るのも能力とはいえ、天性の適職というのはどうもあるようで、50年前に隆盛を窮めた職業に適正がある方が、たまたま50年後に生まれ、それが過去の職業になっていた場合…。これは、その人の努力不足とか能力不足というものなのか。

ま、さらに百歩譲って、それも仮に機会の平等があったとしましょう。

それでも、たとえば、今回の医療費改革。
70〜74才の負担をこれだけ大きくするとは…。これが公平な負担なのか。単純に、60才未満の負担をたとえば、3割から3.2割くらいにあげるとしても、人数的には圧倒的に反対意見か強くなる。だから、まずは反対する力すらないところで、70過ぎくらいの、しかも初期高齢で一番病気にもなる(いや、新たに病気になるのではなく、慢性病をもっていて、治療をやめるという選択肢がない、絶対安定収入源)から、とれるだけとってやろう…。そんな気がしてなりません。

ま、今回、私の親が来年70才ということもあり、こんなことまで思ってしまうのですが。

根本的に、年金だって、65才で一律払うから足りなくなるわけで、会社役員だの、顧問だのといって、65過ぎても若者よりも収入があったり、年金減額にならないように調整している富裕層がうじゃうじゃいます。そんな人、年金を払う必要がない。私のごく身近な知人でも、会社への貸し付け金の返還という名目で、月々20万くらいもらっているらしいが、これは、借金の回収ということで、年金も満額もらっているとか。そんなのいらないよ! そういうと、「若いときに、高い厚生年金を払っていたのだから、歳をとってから沢山もらうのは当然」という反論もあるでしょうが、年金とは、貯金や資産運用ではありません。相互扶助ですから、世代を問わず、お金持ちが貧乏人をやしなってあげる制度なのではないかと(こう考えないと、世代間扶助という考え方はなりたちません。なのに、マスコミなどが「納めた額を回収できない」なんて表現をするから、ますます若者が年金を払わなくなるのです。回収できるできないは関係なく、社会全体が相互扶助するのが年金だと理解しているのですが…)。

ま、ちょっと極論的な私見も入ってしまいましたが、なにより、ますます弱いものいじめが進むのは間違いないようです。

政治家や政治家を応援する人には金持ちしかなれませんし、そういう人が制度をきめているので、そうならない方がおかしい。

と、わりきって、私なりに生きる道を見つける方が得策だと、ますます思うのでした。

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