最近の私的の雑感

不定期・不確実の、妄想・幻想・感想 etc.

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2006/09/11/(Mon) 同時多発テロから5年ですか

なに? ビルに飛行機が衝突? たしか、ニュース速報をみて、そう思った記憶があります。パイロットが下手なのはいいが、ぶつかったビルが気の毒だなー…と、思いながら、そのままねました。たしか、23時ころだったでしょうか。そして、翌朝ニュースをみたら、それは事故ではなく、テロだった。

そんな日から5年なのですね。

つい先日、「千の風になって」という歌をききました。この9.11でもこの原詩は朗読されていたそうで、なるほど、(作品は20世紀初頭の作品らしいので、無関係ではありますが)、ここでなくなった方々は、この詩の「わたし」のように思って今をみてくれているのでは? と思う部分がありました。

2003年に、東京混声合唱団の皆様と一緒に歌った「蜜蜂と鯨たちに捧げる譚詞」のノートでは、作曲の三善先生が、この事件のことを取り上げていらっしゃいました。人類は、また戦いの世紀を始めてしまったと。

ブッシュさんのこの関係の演説は、どうも賛同できないものが多いのですが、「これはテロではなく戦争だ」という言葉は、印象的です。なるほど、もはや新しい時代の新しい形態の戦争といえるかもしれません。

テロでも新しい形態の戦争でも、勝利はありません。悲劇が残るだけです。
勝利がないんだから、もう、やめましょうよ…。


2006/09/10/(Sun) アメリカにはマグロを売るな(^^)

感情論としては、アメリカという国が大嫌いです。
すごく感情的(いや、勘定的?)で、その割りに「アメリカ的合理主義」と称する屁理屈でそれを正当化する。歴史も文化もなにもないくせに、「グローバルスタンダード」というジョーカーを振りかざして、自国のローカルルールを、あたかも世界の常識のごとく押しつける。あー、なんとヒステリックな国なんだ。
(いや、私は、たとえば、甲子園が嫌いです。ただ、甲子園球児は「いやな奴」という推定が働くだけで、いやな奴とは看做すことはしません(「推定」と「看做す」の違いは、法律用語辞典をご参照ください)。同様に、アメリカ人も、「ヒステリックで自分勝手な嫌な奴」と推定はしますが、決して看做しません)。

前提はさておき、私の大学時代の冗談話で、「アメリカ人を招待して、鯨肉とエイヒレとマグロを出してもてなそう」というのがありました。まさに、日本人にとってみれば、上記のヒステリックなアメリカ人の主張で、日本人に対して、鯨を食うな、エイは動物虐待だ、マグロは乱獲だ(自分たちはほとんど食べないから)、と、アメリカが主張していた食材です。

それが…。

今、中国、韓国が筆頭ではありますが、世界のマグロ消費のランキングに、アメリカもはいってきつつあるとか。そして、そのために、日本にマグロがなくなる(というのは、またヒステリックですが…NHKさん!)とかなんとか。

ふざけんな、アメリカ! つい20年前、お前たちは、日本に何をいっていたんだ!

鯨のことも、もはや純粋な統計的な結果からすると、日本の主張が正しかったのは否定できないでしょう(しかし、アメリカにペコペコの日本政府はそれを公表すらしないのも…)。あげくの果てに、今度は、自分たちがマグロを食するのですか。

純粋に感情論として、アメリカにはマグロを売るな。

あー、すっきりした!


2006/09/04/(Mon) 迷惑メールをきっかけとして

6月ころから、どこかのサイトの書き込みを通知する内容の迷惑メールが、一日20件くらいくるようになりました。対策を講じて、今はこなくなったのですが、先日その原因がわかりました。この掲示板は、初期のころ、コメントを書きこめるようにしてあったのですが、そこに、アダルトサイトだの、違法ドラッグを紹介するサイトの紹介の書き込みが、毎日4−5件書き込まれていました。そんな昔のコメントみていませんでしたし…。
でも、それを契機に、古い書き込みを読み返してみて…そうだ、ここで、5年後を予言しておいてみようと思い立ったのでした。あたっても、はずれても、5年後にみたら、面白いだろうなーと。

日本について
 契機は回復しています。格差はますます拡大しています。
 この2つだけは間違いない。格差が拡大して回復ですから、今日現在、景気回復を実感していないグループは、5年後も実感していません。今、景気回復していないとおもうグループは、ますます厳しくなっているだけでしょう。でも、富裕層の景気は回復しています。もともとパイが大きい富裕層ですから、経済指標や統計的数値の上では、間違いなく景気回復しているでしょう。
 もはやもどれません。日本はこの路線を選択したのですから。そういう、数パーセントだけが景気回復して、Vどころか、鋭角すぎてわからないほどの回復をみせ、それ以外はどんどん落ち込んでいく社会を。
 でも、5年たつと、「それはそれ」という幸せが生まれていることを期待してもいます。江戸時代の農民だって、厳しくくるしい中にも幸せを見いだしていたわけですから、経済的に裕福な回復とか、平等はないということが認識できれば、別の幸せが定着するか、少なくともその芽は出てきているのではないかとおもいます。
 私のサイトにも以前に書きましたが、景気のどん底から立ち治るには、まずは、富裕層を育てて、その後に財産の分配を期待するという手法があるそうです。そして、数年前のコイズミ政権のやり方を肯定する論理は、まさにここにあったと思います。でも、そのときも書いたように、それは世界の中の話。日本人には、豊かになったら配分するという発想はひとつもありません。その上、前回の不景気のどん底(オイルショック)と比べて、格差を肯定し、格差を助長し、格差があることを良しとする思想が定着してしまったわけですから、ますます、配分という発想はないでしょう。
 まして、そういう富裕層から出身の、しかも2世政治家ばかりの政権です。富裕と貧困というベクトルだけではなく、地方と中央というベクトルにおきかえても同じこと。ますます中央が栄え、富裕層が栄えていく。そして、それを配分するという発想は少しもない。クーデターとはいわないが、世相が危うくならないギリギリまで落とすべきものを落して、あとは知らんふり。
 悲観的かもしれませんが、そんな日本になっているか、その方向に向かっていると思っています。
 ただ、もっと悲観的な予測は、戦争です。子供のときに流行ったアニメ「超時空要塞マクロス」ではないですが、地球人は、戦争をしていない時代はなかった。そういう歴史からみると、戦後61年! こんなに戦争していないのは奇跡かもしれない。そして、私自身が、幸か不幸か、平均余命まで生きているとすれば、あと40年あまり。100年以上も戦争がない世の中なんて、およそ信じられません。だから、決して望みませんし、無いに越したことはないのですが、一生涯のうちに「戦争」という状態になることは、覚悟して人生設計する必要があると思うのですが、問題はそれがいつくるのか。さすがに5年では無いと思いますが、改憲を正面にだした方が今度は総理大臣になるシナリオのようですし、一歩、その方向に向かってしまったのではないかとは思っています。


2006/08/20/(Sun) お盆休みの発見?
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お盆休みは、仕事を調整して、2日ほど休みをとりました。
2日で何をするか…。

近距離でいけて、すいているところ? で、ネタとして面白い観光地…。
すいているを強調すると経営者に失礼かもしれませんが、たぶん、そんなに混雑していないだろうと、「ダチョウ王国」なる駝鳥の牧場にいってまいりました。その行程の中で、水戸偕楽園などに寄り道したので、ついでに? ようやく日本三大庭園を制覇? することもできた休みとなりました(ちなみに、兼六園が中学三年、後楽園が2003年?かな)。

で…駝鳥王国では、なんとも…こんなに駝鳥がいるなんて、というほど、たくさん飼育されていました。『ぼろぼろな駝鳥』では、これはもう駝鳥じゃないじゃないか、とありますが、うーん、養殖で最初からここに生まれた駝鳥さんは、この詩のように、故郷をおもうこともなく…どんな心境なんでしょう。

牧場の入口では、ショップがあり、駝鳥肉などが販売されています。駝鳥をみながら駝鳥ドック(駝鳥のソーセージの挟んであるパン)でも、とおもいましたが、さすがにこれは…駝鳥さんに申し訳ないのでやめて、お土産に、いくつか買って帰宅しました。(写真上は、駝鳥王国の駝鳥さんたちです)

で…自宅で試食。
これが、うまい! 鶏肉ではありません、決して。どちらかというと、牛肉です。好みはあるとはおもいますが、私も母も、アメリカ牛が嫌い。あの独特のアメリカ牛の匂いがどうも好きになれません。それと比べると、そういう臭みがない分、輸入は再開されましたけれど、輸入されなくても、駝鳥の大量養殖して、かわりにこれでファミレスとかがビーフステーキ(と、表示すると法律的に問題ですね)を売り出したらいいのに…とおもうくらい、普通の牛肉にむしろ近いお味。レアがうまいというので、こんなふうに焼きました(写真した)。

玉子焼きを買ってきました。卵は4200円で販売されていたのですが、さすがにこれを目玉焼きにする勇気もフライパンもなかったので…。玉子焼きは、ビミョーで、白身が多い卵というか、かなりコクがない、あっさりしたというか…。舌触りもやや独特に仕上がっていました。そういう卵だから、これ、温泉卵になったらおいしいかも…とおもうのですが、温度とか時間とか、成功するまでにどれほど失敗するかとおもうと、コストがかかりすぎですね。

また、内臓肉や刺身も試してみましたが、どれも、鳥の内蔵というより、大きな動物の内蔵です。刺身は、牛肉の刺身のようで、これは、きっとユッケにしたらおいしいだろうという感じ。

一応なんでも、ほかの食肉と比べて、はるかに低脂肪なんだそうで、たしかに、あっさりした赤身、というのが基本的なお味です。

もし、世界中の鶏が、鳥インフルエンザになったら、個人的には駝鳥でいいなーとおもうのが、このお休みの結論です。

あ…でも、写真をとってきた駝鳥さんの顔をみると、気の毒で食べられなくなるかもしれません。


2006/08/08/(Tue) 毎年

合唱を趣味としてから、8月のこの時期は、どうしても『原爆小景』と「死んだ男の残したものは」の2曲を聞く傾向にあります。以前の日記にも書きましたが、この1つの組曲と、1つの歌曲は、戦争を考えるときには、あまりにも大きなインパクトをあたえた歌だといえます。

そう、あえてもう1曲加えろといわれたら…。今年はふと、広島の61回目の原爆記念日のニュースをきいていたら、思ったのですが、この答えは、この1曲、というのではなく、ミサの「Agnus Dei」かなー、と思って、今年のこの時期を過ごしています。

もちろん、反戦とか、原爆を歌ったものではないですが、dona nobis pacem と、先人のどなたが作曲したそれを歌っても、「我等に平安をあたえ給え」という和訳を読み返してみても、そんなメッセージを感じます。

北朝鮮への批判もあり、イラクへの批判もあり。核の最大の保有国のアメリカが「核兵器を作るな、持つな」といっても、まったく説得力を感じませんが、説得力の有無はこの際関係ありません。持つこと自体を批判するのは、政治を抜きにすれば、どんな場合でも正しいのではないか、と思います(でも、戦後61年も経過した今でも、核を用いなければ戦争は終結しなかったなどとほざくアメリカの声明が、今もつぎつぎと出されるのは、返す言葉もありません。そんなやつら(彼ら)にも加護があるように祈るのがキリスト教なのでしょうか…)。

でも、今年のこの8月6、9日を迎えて思うのは、核兵器の被害者だけが戦争被害者ではない、ということもあります。およそすべての戦争、いや、争いごとには被害者があります。はたして、そういう被害者たちへのケアは十分だっただろうか。

と、思うと、原爆の悲惨さだけを訴えるのは、片手落ちです。原爆の悲惨さは、戦争の悲惨さの典型的な一例です。これをとおして、戦争そのものへの批判、反省が生まれることを切に願うのみです。道は遠く…上記のとおり、まだ、世界最大の権力を持つ国が、61年前の原爆投下を正統化しているのですから。

天ガサケ街ガナクナリ川ガ流レル(「水ヲクダサイ」)
死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来る明日(「死んだ男の残したものは」)

こんな中で、我等に平安をあたえ給え(dona nobis pacem)と思うのは、自然な祈りではないかと思うのでした。


2006/07/28/(Fri) 「大きい方からお返しします」…いやだ!

最近、マニュアルがしっかりしているお店では、お札と小銭のお釣りがあるときに、「大きい方からお返しいたします」と、お札を先に返して、その後、硬貨を渡されます。

これ、マニュアルの弊害です。お客の財布をみて、場合によれば小さい方から返してほしい。

私の財布は、折り畳みで、ファスナーのあるものです。

大きい方から渡されますと、折り畳んだ状態を広げて、そこにお札をいれます。そして、(折り畳んでから)ファスナーを開いて、小銭入れをあけます。そして、そこに硬貨をいれることになるのです。

これ、もし逆に「小さい方」=硬貨から渡されたとします。

財布はもともと折り畳んでいます。ですから、ファスナーを開いてすぐに硬貨をいれられます。そして、折り畳んだ状態から開く作業は、ボタン一つですから、簡単に開くことができ、大きい方=お札をいれたあとは、最悪、ボタンがしまっていなくても、ファスナーはしっかり綴じているので、ポケットの中で散乱する心配なく、スッとスムースにポケットにいれられるのです。

これが、大きい方から返されると…実に面倒。後ろに人が待っているときは仕方なく、いったん近くにサイフをすべてあけたまま移動してしまうようなハメになります。

そんな不便を、ここ数年感じています。どうも、「大きい方」から返すのがあたりまえになってしまったようです。

ためしに、「いやだ、小さい方から返して」と、高校生らしきアルバイト店員を半分からかって? 言ったこともあるのですが、彼女はとまどって、かえって時間がかかってしまいました。

こんなふうに思う私は、少数派なのでしょうか。社長気取りの男性は別として、札入れと小銭入れが一体になっているサイフを使っている方は多いと思います。そうすると、私と同じ不便を感じているはず…だと思うのですけれど…「大きい方」から返されるのが当たり前になると、不便じゃないですかねー。

(電子マネーが普及すると、こんな心配はないかなー。でも、edy も suica も、特定のキャリアと提携しての展開では限界があると思いますよ。携帯電話に電子マネーがつくとしても、電子マネーがつくからそのキャリアにかえる、というところまでは魅力は(現時点では)ないです。だいたい、携帯とサイフが一緒になったらリスクが大きすぎます。携帯電話が、高くて不合理だと思う私は、PHS に edy か suica がついたら、とびつくかもしれませんけれど…)。


2006/07/04/(Tue)20:43 4/19の素朴な疑問

この4/19の日記に書いた疑問ですが、やはり営業形態によっては、2号営業の許可が必要になるんだそうです。もちろん、深夜まで営業し、お酒を主に提供する場合は、深夜酒類の届出が必要です。
で、そんな許可をきちんととっているお店はどのくらいあるのでしょう。
そして、18才未満立入禁止の掲示をきちんとして守っているのでしょうか。

実態調査に、潜入してみよう、とは…思わないなー。秋葉原は、かつては好きだったしよくいきましたが、もう、昼間歩くのも抵抗があるほどの雰囲気の街になってしまっているし…。

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