最近の私的の雑感

不定期・不確実の、妄想・幻想・感想 etc.

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2005/10/22/(Sat) 公的か私的か‥私の場合は関係ないが

大学に入ったとき、憲法の試験では「政治的回答をしてはいけない。憲法の法律論議と政治論議は違う」と教わり、なるほどそうだと思いました。

その意味で「業務上の雑談」は仕事がら法律論にするべきだと思うので、こちらに‥。標題はその意味です。まー、私のこんな書き込み、影響力はないと思いますけど。

憲法9条の改正が毎年のように話題になり、今年は野党の民主党までが改憲推進のため、どうも現実味を帯びてきています。

私が大学で憲法を学んだのは、早15年以上前。

この当時、自衛隊と憲法論は、「自衛隊そのものが違憲か合憲か」でした。その後さまざまな国際紛争があり、そこに自衛隊を派遣するか否かが議論となり、いつのまにか「自衛隊の存在は合憲(が前提)で、自衛隊を派遣することが合憲か違憲か」に、議論の中心は移っているように思います。

大学を出てから勉強をしていない私には、そこで勉強はストップしています。だから、どうも最近の自衛隊を巡る論議は、論点があわなくなっている‥。前提としている自衛隊そのものの合憲性は問わないの? というところで。

少し私なりに整理すると、憲法の解釈改憲によって、自衛隊は解釈上は合憲とされたのかもしれません。しかし、今回、憲法そのものをかえるならば、文言に忠実にまずは戻るべきではないか、という疑問が生じます。文言に忠実‥自衛隊そのものが違憲か合憲かから論じ直す必要があるのではないかなー、という意味です。

過去の、自衛隊の合憲性を争われた事例では、上の裁判所にいけばいくほど、その判断は回避されていました。だから、この件については、結論が出ていないはずです。ならば、根本的なこの問題から論議しないと‥。

私の単なる憶測ですが、武器をもって戦う準備がある国に独裁国家が攻め入るのと、武器もない、軍隊もない国に攻め入るのとでは、国際世論は確実に異なると思います。そうすると、自衛隊が軍隊と認めた場合(今回の改正ではどうもそうなるようですが)、より攻め込みやすくなる違いがあるように私は感じています。しかしそれにしては自衛隊は中途半端。では、中途半端だからと、軍事に力を入れていけば、まー、2つの大戦と同じ道を歩むでしょう。自衛のための戦争だったのか、侵略の戦争だったのか、という評価は、戦争が終ってからン十年もたってからされるもの。一国民の生活維持に目線をむければ、なんら違いはありません。

戦争、あるいは「戦時」、非常事態にならないことだけを私は望みます。

私は、平和ぼけ論者です。

と、堂々と言いたいと改めて思います。世界全員が平和惚けすれば、戦争など起こらないのですから。


2005/10/17/(Mon) 超プライベートネタ

ロッテマリーンズ、31年振り優勝。

ファンを語るには、何もしらないし、応援もしていませんが、ロッテというチームは、31年前の優勝がやけに印象に残っていて、村田兆治選手はじめとして、印象の残る選手がいた関係で、影ながら? ずっと応援していました。

その‥村田選手が怪我から復帰した以後は、弱小球団、観客がただでもいない川崎球場ということで、ファンと名乗るはもちろん、「好感をもっている」と言うだけでも変な目で見られる時代が続いていましたが‥。。

でも、今年は、もし、東京にすんでいたならば参加したいと思うイベントも数々。楽天が最下位でも黒字になったのもそれはそれで凄いと思いますが(否定的な評論家もいますが、まずは経営改善です。それがプロ野球再建のいっぽだと思います。楽天が、企業として企業努力すれば、球団改善は親会社に頼らないでも行けるかもしれない可能性を示したのですから)、ロッテの企画力はもっとすごい!

ささやかに‥リンゴとチーズとアンチョビという、一見奇妙な組み合わせのオリジナルつまみを片手に31年振りに寄っている現在です。


2005/10/09/(Sun) 童謡・唱歌を沢山うたって改めて思うこと

今日は、高崎コスモス合唱団が日頃お世話になっている高崎市中央公民館の文化祭。今年は、コスモスがお世話にもなっているでかんしょ合唱団さんにも加えていただいて2団体で出演、どちらもたまたま童謡・唱歌だったので、あわせて15分程度のステージでしたが、10曲の童謡・唱歌を歌ってきました。

ところで、最近、リバイバル、リメーク、カバー‥という類のアルバムが歌謡界ではブームのようで、ほとんどテレビやラジオを聞かないものの、耳にはいってきます。そして、そのいくつかを聞く(いやお店のBGMでですから、聞こえる、というのが正しいでしょうか)こともありました。このようなとき、最近思うのは、「これはオリジナルの方のなんらかの権利侵害をしていないのだろうか」ということです。

ここからは、法律実務家の立場を離れての意見ですが、オリジナリティーを出すためなのか、自己主張を単純にしたいだけなのか、最近のリメーク、カバーの類は、原曲を崩しすぎている気がしてならないのです。いや、実演家としての歌手が、一定の範囲で原曲を「はみだす」ことは、アーティスト(という云い方も、以前から強く違和感を覚えるのですが)としての表現の範囲として、許容されることもあるでしょう。しかしそれは原曲(オリジナルを歌った歌手のイメージではなく、ここでは作曲家の作った曲そのもの)の意図を十分に汲んで、理解した上のことではないか、と私は思うのです。

「8分休符の一つも無駄に書いていないぞ」は、故高田三郎先生の有名な言葉です。たとえば、8分音符が続くなか、強拍をややテヌート気味にうたったり、その結付点8分的になってしまうのも、ときおりそれが現れる程度ならば許されるでしょう。あるいは、Codaの中で原曲の旋律のオブリガードを歌って強調する‥という程度も、実演家の表現として許せる範囲かもしれません。それとて‥上記の高田先生のような作曲家の気持ちを十分に汲んで行うべきではないかとおもいます。

最近の歌手のリメークのよく使う手は、「超後ノリ」。思いっきり1拍目を遅らせて、3拍目くらいから遅れた分を早口で歌う‥。しかもくどいくらいにほとんどすべての場面でこれをくりかえす‥。

子どものときから趣味でときどき曲を書きます。そんなときに、ここだけはしっかり1拍目を強くだしたい、と思うこともあります。たとえばそう作曲家が思っていた部分を、上記の常套手段で歌われたら、それは作品の意図を無視しているとしか思えない。

童謡・唱歌を沢山うたって、なぜあらためてこんなことを思ったのかといえば、最近、童謡・唱歌の編曲という行為が果たして良いのだろうか、というエッセーを読んだことがあったためです。現実に、いにしえの作曲家にはこれを強く嫌って、編曲を一切認めないという方もいらしたそうです。他方、(現実にそうなっているのかは素人にはわかりませんが)林光氏の「日本抒情歌集」はじめ、いくつかの「編曲モノ」のCDのライナーノートには、編曲者が「原曲のイメージを大切に」という趣旨のことをしばしば書かれています。そういうことを考えると、今時の「アーティスト」と称されて、リメーク版等だしている方々‥こういうことを考えたことがあるんですか? と感じてしまうのです。

いくつか聴いたそれは、ロクに練習もせず、原曲の指示するとおり歌えないからごまかしている、としか感じられない(これはあまりに偏見か?)。

しかし一方で、つい最近まで編曲の芸術性は認められていない部分があったのも事実。だけど、これは立派な新たな創作ですし、真摯に原曲を大事にとりあげたそれは、二次著作物の一つとして十分に尊重されないといけないとも思います。だいいちこれが否定されるならば、古典の時代から現在まで、たとえばグレゴリア聖歌の旋律を引用するような技法は当然のように存在し、それらがすべて否定されることになるでしょう。

今日歌った童謡唱歌の混声合唱編曲版は、私が感じる限りでは、十分に原曲の意図を組み入れたものだったと思います。それは歌ってみれば自然とわかるモンではないかと‥。

ところで、歌唱技術が未熟で、作曲家の求めるとおりにならない、というのは別問題です(^^;)。

歌のことをきっかけにしましたが、仕事等の上の技術もしかり。


2005/09/20/(Tue) 愛知万博

強行軍で行ってきました、愛知万博。
10日くらいかけてゆっくり見たいという思いは現実的でなく。群馬在住の身では、やはり強行軍の日帰りです。となると、一つ一つをゆっくり見るのではなく、行ったことに意義がある! のノリで。
とはいえ、もはや若くはない? 前日遅くに名古屋に到着、朝一で会場、21時と、閉館より少し早いくらいで帰路につく、というスケジュールとしました。
当初計画は、「万博」です。どうせ企業パビリオンは人気が高くて一つ見るのに何時間も費やすと考え、1.できるだけ会場全体にいく、2.「万博」にちなんでできるだけ各国のパビリオンを見る、を目標としてみました。
事前に会場地図をみると、グローバルコモン1〜6というところに、各国のパビリオンが配置され、それをつなぐように、そして、他のイベント会場をほぼ網羅する形でグローバルループという回廊。これをベースに、キッコロ・モリゾーのそれぞれのゴンドラにのって、瀬戸会場にも足を運ぶ。そんな行程をめざしていざ、5時間の彼方・愛知県へ。
18日は初の入場制限。前橋市の人口よりも多い人が集まったとのこと。19日はやはり入場制限にかかるのか不安の中、駐車場に7時15分着、シャトルバスに8時間40分、会場着9:00、入場が9:40と、これでも順調だったのかなという流れて入ることができました。
そして、上記行程のうち、入場待ち時間のあるパビリオンはあきらめて+ループからいける範囲の展示で、長久手会場は1周半、その間、キッコロゴンドラで瀬戸会場にいき、さらっと見て、燃料電池バスで長久手会場へ戻るというオプション? をつけて、20時15分ころ会場を後にしました。

そんな超特急でしたから、じっくり見たかったのに、というものはあったものの、会場の雰囲気、各国の食事を楽しみ、広く浅くでも、約30の各国のパビリオンを見て世界一周のきぶんにひたったのは、強行軍で無理してきて良かったな、というところです。

ちなみに、往復交通費は約17000円。これに駐車場代が3000円がより正確かな。

ややこちらも準備不足、万博側も「混むことはわかっているんだから何か対応しろよ」と思うことはありましたが、いきている間に再び日本で開催されるかわからないイベントにいったことは、満足でした


2005/09/17/(Sat) うるさいサンダル

ちらっと、テレビを横で聞いていて、デザイナーだかメーカーの企画部が意図的にこのような商品を開発して売り出したそうですが。

昨年もありましたが、今年、踵に加工を施して、歩くと特別でかい音が響くようになっているサンダル、やけにおおくなったように思います。

はっきりいって、公害以外なにものでもないぞ。

特に東京の地下道や地下鉄の階段なんかで、カツーーーン、カツーーーンと歩かれると、いい加減に静かにあるけ! と言いたくなってしまうほど。ましてや真夏はそういう人が複数いたりして、そうなると、(あんなものでも)共鳴してますますうるさくなってくる。

こういう人に迷惑や不快感を与えるものも、自己主張であり個性でありファッションなのか‥。

あー、そうだとすると、それが受け入れられない私は単なる時代後れのオヤジだとして、それはあきらめるとしても、世の末だなー‥と、今日はおおげさにも思ってしまうほど、このうるさいサンダルに遭遇する一日でした。


2005/09/11/(Sun) 投票が終りました

2005年 9月11日20時18分です。さきほど投票が終ったようです。

私は、今回、どこが勝っても私にとって利益になる公約を掲げているところがないので、正直、どこが(誰が)この選挙に買ってもいいから、それより厳しい時代をどうするか、の方が先に関心事になっています。

このような考え方は今回の選挙に限ったことではなく、私のような特殊な仕事や立場、家族環境の人間は、多数決原理の政治では、マイナーで切り捨ての対象となるのは必至。だから、どこが政権を取るにしても、どうしたら損害を最小限度に抑えられるか、が常に関心事です。

今回はマスコミ報道によると、意外に思えるほど自民党圧勝。10年単位くらいでみると、この方向性は揺らがないのは間違いありませんから、今回他が圧勝したとしても、180度変わることはなかった、と思っています(多少ブレーキが一時的にかかる程度)。ならば、一気にこの方向に向かう方が、「最小限度の損失」にむけての対策を考えるのには、都合が良いのかな、と「思うようにしたい」と思っています。

さて、具体的に明日からどんな工夫をしていきましょうか。

と、距離をおいてしまう姿勢は良くないのかもしれませんが、自分から近づいて、どこが勝っても選挙の前後にやることは同じ者からすると、近づかないで淡々と自分のやるべきことをやっている方がいい、と思うこのごろです。


2005/09/02/(Fri) 試験の想い出

選挙が華やかです。これほど関心が高まっている選挙も珍しいのでは? と感じます。

選挙というと、大学の試験の想い出があります。大学の試験で、4年間、ABCDEの評価で、Bが2つ、Cが1つでしたが、Bの2つのうちの1つが、憲法3でした。

試験回答の際に、「たぶん、こう回答するとBだろうな」と思いながら回答したのですが(Aをとるならば、こう書けば良いだろうというのはありました。そのように回答すれば本当にAだったかはわかりませんが)、それは、「政党政治について述べよ」という問いでした。

A回答であろうという回答もありましたが、正直、本当に政党政治については十分な理解がありませんでした。十分な理解がなくとも「だいたいこんなことを書けば点数はもらえる」というのはあったのですが、「この試験、政党政治について問われた時点で、B、Cあるいは落第点でもやむを得ず」と判断して、「ならば、書きたいことを書こう」と回答したのです。

で、結果は、予想通り? Bでした。

それはともかく、私は今でも政党政治を十分に理解していません。というか、上記試験で書いた「書きたい事」は、今でも私見(あるいは持論)で、それがBという評価に値するか否かは、いまだにわからない、というところです。

細かいところまでは正直、覚えていません。が、政党政治を基本的には否定した回答だったことは間違いありません。

で、現在の選挙制度は、「政党に投票」というものがあります。上記のとおり、政党政治を否定する考えかたらすると、政党に投票するというのは、ありえないことになります。

たとえば今回の選挙、一番の争点は(自民党に乗せられれば)郵政民営化かもしれません。が、郵政民営化の自民党の見解すべてに賛成できるわけではないし、他の各党の見解も、すべて賛同できるわけではありません。たぶん、造反議員の多くも、コイズミ政権の郵政政策の全部に反対というわけではなく、一部に反対だったのではと思うのです。
そうすると、所属する政党の政策の一部にだけ反対の議員さんは、どういう行動をとれば良いのでしょう。

他方、今回も新党が2つ。国会議員の数が少ないと、当初一緒懸命かき集めた党もありました。そうすると、細かな議論に賛成・反対よりも、まずは「人集め」ということになります。あるいは、自分の主張を反映させるのには、一部、自分の主張をまげてもどこかの政党に所属しなければならない、ということになります。

こんな制限があるやり方を前提とする政党政治って、本当に良いものなのか‥。これが、上記憲法3の試験を回答したとき以来の私の疑問なのです。

もちろん、憲法は集会結社の自由を認めているわけですし、そこからすると、政党を作ることは自由ですから、政党を作ることは当然肯定されるでしょう。が、そこに入るも出るも自由でなければならないはず。とすると、制度、仕組み的に、政党に入らないと身動きがとれなくなってしまうような政治制度って、どうなんでしょう。

そんな疑問もありますが、他方、投票を一度もしたことがないホリエモンも出馬できるという自由さは、現憲法、現制度のすばらしいところだなー、とも思う次第。勉強不足で売名行為だ、との批判もあるようですが、ゲーノージン候補よりは少しは知識も経験もあり、ガチガチの勉強していないサラブレッドの高齢政治家よりは、現在の経済のこともわかるのでは? なんて、私は見ています。ま、だから指示するか否かは別ですが(第一、選挙区が違いますから)。

政治を意識させない政治が最良の政治だ、という古語もあるわけですし、実際のところ、9/11はどうなっているんでしょうか。

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