、という言葉が出てしまうほど、昔になりました。被害者家族、あるいはオウムに入信していた方からすると、「とんでもない」ということになる発言かもしれませんが、大多数はこの心境ではないでしょうか。
ただ、そうでなければ、社会もやってられない…。あの当日の緊張と恐怖が現在も全員持ち続けていたら、国民全員が何もできないことになってしまうでしょうから。
だからこそ、私はしっかり裁判をして欲しいと思っています。 長過ぎる? 13件、途中で取り下げたもの、嫌疑不十分で起訴しなかったもの…と沢山あるのです。1件当たりの刑事裁判に要する時間×件数で考えれば、よく9年でここまできた、と思う反面、一つ一つの審議が中途半端に、急ぐばかりにいい加減に行われたところがないのか、とむしろ心配になります。
取り下げられたりした事件の被害者感情はどうなんでしょう。 取り下げられた事件や裁判にいたらなかった事件に、仮に真犯人がいたとしたら、その犯人は「凶悪犯がいる時期に犯罪をすれば逃げられる」と学習してしまうかもしれません。 だから、しっかり、時間をかけても裁判をして欲しいと思う次第です。
じゃぁ、被害者感情はどうすればいいんだ、と言われるかもしれませんが、バランスと方法の問題。裁判が被害者感情をみたすだけのためのものならばそう言われればそれまでですが、特別予防も目的ですし、上記のような問題もあり、また、二度と同様な犯罪を繰り返させないために行う、という側面もあります。いくら大きい事件だからといって、これらを全て無視していいというわけにはいかないのではないかと思います。 もちろん、犯罪者が処罰されることは、一つの被害者救済でしょう。しかし、他の制度、精神的・肉体的・経済的サポートを十分にやるなど、裁判以外の刑事司法制作を充実させることも一つだと思います。とくに、労災認定その他、PTSDの研究等々を含む精神的なケア制度(PTSDについては、この事件をきっかけに注目度が高まった、という点で、過去の過ちを活かしていると思いますが)等は、決してこの9年、じゅうぶんであったとは思いませんので。
ちなみに、「犯罪者」と書きましたが、現時点ではあくまでも「疑わしきは被告人の利益に」です。これも最近忘れられているきがしてなりません。
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