最近の私的の雑感

不定期・不確実の、妄想・幻想・感想 etc.

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2008/08/16/(Sat) ブログをテストしてみます

ブログ。もう3年くらいになりますかねー。これが流行りだしたのは。
そして、いまや大手企業のHPもこれによって作成されていたり。

どうも、ブログって好きになれなかったのと、別にこの nicky.cgi で不都合もなかったのでブログを使用しないできましたが、時代の流れもありますから、試してみよう、という気になりました。

http://www.ofnon.com/blogs/index.php

にまずは設置。

これで、スパムがどのくらいふえるのか、ということも含めて検討してみたいと思いますので、しばらくは、ここと併設します。

結果、利点が見いだせれば、blog に移行しますし、対してメリットがないと思えばこちらに再び統一します(その間のblogの記事は、何らかの形でこちらにも移しますが)。

今のところ、写真が複数掲示できるくらいしかメリットは感じませんが、まずはテストです。


2008/08/14/(Thu) ボウリングはオリンピック種目には

なれないなー。

小泉元首相も参加しての、オリンピック種目入りをめざしたイベントがあったそうですが、あれじゃ、なれないなー。

オリンピックへのアピールをする人たちが、ボウリングの最低限度の基本中の基本のマナーを守っていない。
テレビの最初の映像が、小泉さんの右側で別の方がほぼ同時に投げているシーン…。スポーツとして世界にアピールするならば、マナーやルールもきちんとアピールしないといけませんねー。

なんでも第一投はストライクだったそうですが、これがまたブルックリン! (映像によるとです。もしかすると、これは2つ目、3つ目の映像が編集されたのかもしれませんが)。まぁ、政治は正攻法というか正面突破の小泉さんでしたが、裏からせめていこうという気持ちを象徴していたのでしょうか(^^)。


2008/08/09/(Sat) 今年も

原爆記念日がきました。

なんでも、長崎に原爆が投下された日を正しく答えられる大学生は半数以下だとか。
まぁ、そんなもんでしょうし、日付なんかそんなに重要ではありません。投下された事実と、投下の背景、結果、その後を知っている方がよほど大事ですから。

今年はオリンピックと重なったためか、それほどクローズアップされていません。たぶん、終戦記念日もオリンピックの最中ですから、例年ほどはとりあげられないのでしょう。
オリンピックは平和の祭典でもありますから、きちんと平和の祭典の役割をはたしてくれるならばそれでもいいかもしれません。

でも、今年はどうなんでしょう。開会式を今、まさにやっていますが、開会式に至るまでの経緯は、ちっとも平和の祭典ではない状況でした。

と、いう私も原爆のことはよくしりません。不勉強です。

でも、一年に一度でも、平和のことを真剣に思い出すシーズンとして認識していることは、それが一度もない人たちよりは自慢できることだと思っています。

いつも日記には、林光氏の『原爆小景』と、武満徹氏の『死んだ男の残したものは』のことをこの時期に書いていますが、合唱ネタで今年も結ぶと、実は、私は合唱をはじめるきっかけとなった高崎コスモス合唱団ではない合唱団のステージが生涯初ステージでした。「ぐんまこどもの人権宣言合唱団」のそれが初ステージ。子供の人権の一つとして、戦争の否定・批判が色濃くあらわれている組曲でしたが、僕ら(子供)はなにができるだろう、と、対話形式で進む曲がありました。あの歌を歌いながら、子供でなくても、世界は普通の大人もとどかないもっとしらない大きなところで動いているな、と思うことがありましたが、この曲も、最後は、僕ら(子供)ができることをしていこう! という話になっていきます。

できることをすることが一番大事で、もし、世界全体が自分のできることをしようと思うようになれば、それが実現できるはずなのですが、大人になればなるほど、普通はそれができなくなってしまうようです。


2008/08/03/(Sun) 自己分析

以前に、日記に、甲子園が嫌いだとか、子供の声が気になるとか書いたことがありました。
あと…書いたかなー。嫌い(いや、好きではない)なものとしては、運動部/体育会系出身の人とか、お祭りにはまっている人とか。

今年は、これにくわえて、ロサンゼルスオリンピック以降、オリンピックも好きではないのですが、その好きではないオリンピックのために、嫌いな甲子園の開会が早まって、好きではない高崎祭りと日程が重なり、好きではない子供の声がやかましい夏休みの真っ最中。そんな状況の8/2−3日でした。あ、ちなみに、花火も好きではありません。だから、昨晩(高崎祭りの花火大会)は、4つも重なっていたことになります。

ふと、なぜ、自分がこれらを嫌い、あるいは好きではないのか、思う瞬間がありました。

いや、なんでも、当事者になり、参加すれば楽しいし、精一杯、一所懸命に活動するものばかりだと思います。まぁ、甲子園とオリンピックは、実力・能力的にありえませんが。祭りも、自分が主催側になったり、参加すれば、それなりに楽しむ性格ではあると思います。運動部/体育会系にしても、高校までは運動部所属で、それなりに一所懸命したとの自負はあります。

が、甲子園とオリンピックはともかくとして、また、子供の声は、自分の子供は経験がないですが、一緒に行動した友人の子供での経験からも、他は参加した経験からも、好きになれない。

その共通点は、「やっている本人だけが楽しい」「かかわっているものだけが満足」、いや、もう一歩進んで「こんなすごいことをやっているのだから、やっていない人も、きっと大目にみてくれるだろう、寛大な目をもっているだろう」と思い込んでそれに甘えている行事、団体、集団…という「仮説」にたどりつきました。

典型的には、運動部/体育会が嫌いな理由です。だって、やつら、先輩をうやまうならばともかく、極論「もし逆らえば、自分が不利益になる人」にだけ服従です。
たしかに、戦後高度成長時代の企業にとって、上司に服従する人材は貴重だったかもしれません。だから、人事の面で、体育会系が重宝されていたことも、わからなくはない。でも、まわりに多大なる迷惑をかけて自分の利害関係のあるものにだけつくす、ある意味で、自己主張のないやつらです。そんなの、今の時代信用できるか! というのが、私の考え方。

祭りもしかりで、祭りに集まっている人たち。浮かれ気分で、祭りに関係ない人にまったく配慮がない。むしろ、祭りの邪魔をするな、といわんばかりの態度が多いように思います。

子育て中の親御さんも同じ。まぁ、子育てはある程度ずうずうしくないとできないと思いますし、これはある意味子育てをする全員がすることだから、祭りや体育会系よりも「やむをえない経過」の一つかもしれません。そんなに子供を育てることが偉いのか! 子供のことととはいえ、周りには配慮しろよ、と、ファミレスで騒ぎたい放題子供を騒がさせて、親同士でおしゃべりしているバカ母親をみていると、心底思います。

甲子園もおなじ。野球やっていれば偉いの? たかだか高校生のスポーツの全国大会でしょう? まぁ、私は関東大会までで、全国大会にはついにいけませんでしたから、戦績という意味では尊敬しますが、だから偉いのか、といえば、そんなことはない。今年の選手宣誓は(残念ながらニュースで聞こえてきたので知っていますが)あれこそ、奢りの他なにものでもない。なにも、日本国民にさわやかさを売りつけることなんてないわけで、精一杯プレーすれば、それがさわやかかどうかは、それをみていた国民が勝手に判断します。それをとおして高校野球のすばらしいさを! なんて、お前なに様のつもりだ! といいたくなる。

と、考えてみると、嫌いなものの共通点がみえてきます。

もっと、自分のやることの目の前に専念しましょうよ! その結果やその姿を勝手にみている人が感動したり、協力したいという気持ちにかられて…というのは否定しません。それを想定している、期待しているかのような思い上がり。、のようなものを感じるものが嫌いなのです。

と、いう考え方は、すこしゆがんでいますかね、やはり。

でも、私は少なくとも好きではないし、これらにたずさわる人を「いやな人」と推定します。ただ、強調したいのは、「推定する」だけで、「みなし」てはいません。高校球児だっていいやつはいるし、立派なお母さんもいます。
体育会系至上主義というか…子育て絶対主義というか…甲子園絶対尊敬主義というか…そういう人があまりにも多いので、こういう連中よりは、私はゆがんでいるとしても少しはマシだ、と勝手に思うのでした。


2008/07/31/(Thu) 高校野球はあいかわらず嫌いだけど

群馬を勝ち残った桐生一高校で不祥事。

どっちでもいいじゃない! と、高校野球嫌いの私は思いますが、出場をみとめるかどうかは、明日の理事会まで先送りだそうです。

連帯責任ってやつなんですかね…あいかわらず。その当の本人だけ出場できない。それでいいじゃないですか。なぜ、他の生徒まで関係するんだろう。

その前に、判決の確定までは被告人の利益に推定するのが、法治国家でしょう。逮捕されて、自白はあるらしいですが、自白なんて、そんな重いものではありません。アメリカのように司法取引がない(とされている)国なのですから。そうしたら、起訴されて有罪が確定するまでは、無罪の推定があるはずでしょう…?

中国よりも罪刑法定主義の考え方が根付いていないなーと思うのでした。
(しかし、報道される範囲の中国って、すごいですね。まぁ、先進国の制度だけが良いは思いませんが)。

追記)
少し意地悪な見方をすると、桐生一は初戦敗退でした。
学校関係者の皆さん、もしかしてホッとしていませんか? もしそんな気持ちが少しでもあったら、出場した選手たちはかえってかわいそうですよ。身内が真剣に応援していなかったなんて。
と、意地悪な見方をしたくなるのは、一般生徒の応援自粛。
なにそれ?? それこそ、野球部でない一般生徒はなにも関係ないのになぜ? 出場辞退しなかったことや謝罪のことばがなかったことへの批判があったようですが(それこそ、学校側の責任で)、その矛先をかえる手段、ということでしょうか。

甲子園を「集団就職活動」なんて揶揄して嫌いな私ではありますが、その理由の一つはやっている出場選手のまわりがうさんくさいから、というのがあり、いまや不合理な不文律の決まりやしきたりがあり…というところなんですが、ますます色濃く感じる結果になりました。

今年、桐生一が優勝していたらどうなっただろう。
あるいは、逮捕が決勝まで進んだ当日の桐生一だったらどうだっただろう。

なんて、想像してしまいます。


2008/07/12/(Sat) 金は汚く稼いでキレイにつかえ

というタイトルの言葉は、祖父がよくいっていた言葉なんだそうです。

個人的には、いやだなー、これ。汚く稼ぎたくない。

でも、汚くないと、ボロ儲けできない。ボロ儲けできないとキレイに使うこともできないというジレンマもあるようです。
だから、祖父の言葉にしたがって、百歩も千歩も一万歩も…ゆずって、汚く稼ぐことを認めましょう(でも、法律に触れてはいけない)、キレイに使うならば。

さて、日本の汚く儲けたみなさん! キレイに使っていますか???

汚く儲けたみなさんは、キレイに使って、犯罪資金洗浄すればまだしも、汚いものは汚いまま。社会還元すらしていない。それが、日本のアメリカナイズした資本家とか、経営者とかいわれる人たちの本性じゃないのかなー。汚く儲けて、汚く保存して、そのためにはますます手段を選ばない=ますます汚いことをしていく。幸いにして死ぬまでそれを貫いた場合、2代目、3代目でそのほころびがほつれて、悪事があばかれていく。今、明治維新から150年くらいたって、そういう時期にさしかかっているだけ、のような気がします。

汚く儲けて、キレイに使ってくださいよ。それだけでも、マシですから。

北関東のYKK の一人勝ちが、今度(あ、今日だ(^^;)高崎に進出しますが、せめて、汚く儲けてきたものを、高崎のために使ってください。キレイに。YKK のどこにもひいきはなかったので、たまたま近く、たまたま安いことろを使ってきましたが、一番サービスも悪く、一番「形式的には合法」の路線を貫いていたところが(と、いうといい過ぎですね。たまたま私が遭遇した経験では、という限定の語句をつけないと…)、いまや一桁違う売上ですから、一人勝ちは間違いありません。勝てば官軍。経済界はそうなのでしょうね…。勝てば政治家も裁判所も買収できるでしょうから、3権全部を掌握できますなー…。

汚く稼いだところだから、高崎のバカな市民と市政をだまして、儲けるだけ儲けて、うまみがなくなったら放置して立ち去る、ということはないことを、せめて期待します。

↑期待するだけ、あまいのかなー…。

はっきりいって、イオンより危険な気がしてなりません。一高崎市民として。

小さなことですが、ある商品を購入し、どうも初期不良でした。それを問い合わせにいくと、「サポートは8000円いただきます」。これがまかりとおって大きくなった企業ですから、壊れたもの売って、その対応にまた金とって。そんなもんですよ、現在の勝ち組は。そのほんの一例なんでしょうね。吉兆なんかまだマシ。吉兆にたとえれば、使い回しの食材で食中毒になったお客に対して、医者の紹介料8000円いただきます、といっているようなもんですから。

いや、今日オープンする1社のことをいっているわけではありません。そういうのがまかりとおる、そういうことをしないと勝ち組になれない日本なんだ、と最近のできごとで思うので、日記に書いただけのことです。

以上はフィクションではありませんが、証拠は残っていません。証拠がないからこんなヒドイこともできるのでしょうけれど。


2008/07/11/(Fri) 機械モノネタ

今日は、iPhone と Willcom D4 の発売日だったそうです。

どちらも魅力がない。

ふと懐かしく思うのが、OASYS Pocket。

今、OASYS Pocket の筐体に、HDD(いや、HDDでなくてもいいですが)80GB くらいを積んで、IF に USB と Blurtooth と LAN をつんで。CPU やバッテリは相応なものにした端末でないですかねー。

技術的には、あの大きさがあれば、今は1024×600 のフルカラー液晶もつめるでしょう。上記の記憶装置も、OASYS Pocket の2つの PCMCIA の格納箇所の一つをつぶせば、十分にいけます(だって、PCMCIA であの大きさならば、HDD で300GB 以上のものがありますから)。のこる一つのスペースに、MicroSD を登載して、そうそう、GPS のチップもいれられるでしょう。いや、Willcom の W-SIM スロットでもいいかも。

OASYS Pocket にこだわりません。HP のジョルナダ680とか、NEC のモバギや mobio、東芝のリブ20(はちょっと小さいかな。リブ50くらい)。日立のペルソナとか。(カシオのカシオペアシリーズはちょっと小さすぎ)。

要するに、まともなタッチタイプができて、今どきの携帯電話くらいのIFや通信手段のあるマシンって、なんで発売されないんでしょう。

私は手が小さいので、かなり小さいものでもタッチタイプできます。かつては、シャープのコミパルでも、ローマ字入力はタッチタイプしていましたから…。

こんな単純なことができるマシンができたら即購入なんですが、あ、そうか。各社私のサイフを寒くしないように配慮してくれているんですね…。

(2008年7月15日追記)
Willcom の D4 を Willcom プラザでみてきました。
あの大きさではタッチタイプは無理。12mm というキーボードのピッチは、経験上、かろうじてタッチタイプできるはずなのですが、ちょっとキータッチそのものが重かった…。かつて、NEC の mobio でも、十分にタッチタイプできたのに。筐体の大きさは対してかわらないのですが、キーボードの両端に余白がある分、ピッチが小さくなってしまったのですね…。

Willcom プラザの方は、「bluetooth で外付けもつかえます」とのことですが、経験上、私は、外付けはほとんど使わない。外付けでも、「合体」できると持ち運びますが、そうでないと、使わないのが結論です。
だいたい、外付けのキーボードをつけたときと、内蔵で操作するときとでは、キーの配置もかえないと快適につかえません。この点、外付けと内蔵を自動判別して、自動的に切り替えてくれるならばともかく、いちいち設定したり、リブートしなければならないとすると、切り替えという手間は、モバイル機器には不適切です。

しかし、D4 は、なぜあの中途半端なキーボードをつけたのか…いや、SH003 以降、親指操作しかできないキーボードならば、いさぎよくキーボード外付け(ただし、合体できると嬉しい)にして、キーボード無しでもつかえるようにしてくれれば理想的なのに(と、思います。もともとWindowsCE をベースにしているOSですから、キーボード無しでも成立するはずですよね?)。

タッチタイプというのがそんなに価値が低いのか。
わたしにとっては、キーボードはタッチタイプできるかどうかが問題で、できない大きさのそれならば、携帯のボタンだけでも大差ない、と思うわけです。

D4 みてきて、D4 の大きさでも、横幅いっぱいにキーボードがあれば、十分に私の指の大きさならばタッチタイプできるサイズでした。それだけに、残念。

Windows XP や Vista ならば、今もっている AS001 でもつかえるはずですから、W-SIM 内蔵できなくてもいい。D4 のサイズでタッチタイプできる端末、発売されないですかねー。

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